馬車郎の私邸

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「大学生活とともに振り返る、涼宮ハルヒの思い出」

 大学卒業も間近に迫った今日この日に、馴染み深い小説のシリーズ第4巻が映画になった。感慨深いので一筆書こう。

 私が入学した2006年の4月、「涼宮ハルヒの憂鬱」はアニメ化した。深夜の角川書店系列アニメ枠で放送が開始された。以前から友人に勧められていたので第1話を見たが、面食らった。時系列シャッフルという前代未聞の放映順であったため、テレビ放送第1話は一連の話の始まりではなく、主人公たち一党が後に作った自主制作映画だったのだ。
 
 大学の授業が始まる頃、岩波文庫が書架に大量に収められているなど、素晴らしい蔵書に感激して以来、私は図書館通いを続けていた。桜舞い散るある日、ふと大学生協を訪れると、ハルヒシリーズの小説が平積みになっていた。数多の小説家を輩出した、ここ文学部戸山キャンパスの生協で、あえてラノベが売られているとは。生協は1割引で本が買えるため、まとめ買いした。

 ライトノベルといえば、小学生のときアニメを見ていた影響で、中学時代に「スレイヤーズ」を読んだくらいだった。この「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズもなかなか面白いもので、瞬く間に読了した。学園ものかと思いきや実はSFものだったというどんでん返し。それはバートランド・ラッセルの「世界5分前仮説」に依拠している。また、全体を通して文体は、主人公キョンの冗漫な一人語りで、ある意味独白体の私小説のようだ。「スレイヤーズ」のような血湧き肉踊る戦いはないが、それとはまた違った多面的な面白みがあった。

 5月になると、にわかにネット上で一つのブームが巻き起こった。アニメのエンディング曲「ハレ晴レユカイ」のダンスを踊る輩が、Youtubeに動画を投稿し始めたのである。「ハレ晴レユカイ」はオリコンCDランキング5位、OP曲「冒険でしょでしょ?」は10位に躍り出た。(ちなみに私はOP曲のほうが好きだったりする)。一連のブームは、ハルヒをただのラノベ原作のアニメから、その知名度と人気を一挙に押し上げた。
 
 前述のダンスを踊る輩の中で際立って上手い”ゾンビーズ”は、早稲田祭でも、キレのあるダンスを披露した。涼宮ハルヒ役の平野綾は、早稲田祭に招聘されたが過労で倒れ、イベントは1ヵ月後に順延となった。この時、都合がつかなくなった友人がチケットを私に払い下げてくれ、そのイベントに行った話は以前述べたとおりだ。
 
 この年の年末あたりだったか、ニコニコ動画がYoutubeに対抗する和製動画サイトとして、人気を博し始めた。私はβ時代からニコニコを見ている。このころは大らかなもので、アニメの本編は丸ごとアップされていた。コメントをつけながら、アニメを鑑賞するのはなるほど、なかなか面白いものだったが、やがて本編を加工して一つの動画にしてしまう試みがなされるようになった。いわゆるMADというやつだ。とりわけ「涼宮ハルヒの憂鬱」はネットユーザーの間で知名度が高いため、様々なMADが作られた。「みんな分かる」ネタとして重宝されたのだ。単に一過性でブームが終わらなかったのは、ある面でネット上のリテラシーの一部になったという点も見逃せない。

 2007年、大学2年の4月に小説の第9巻が発売されるも、2ヵ月後に出版が予定されていた第10巻の発売は延期された。今なお10巻は発売されていない(追記:その後前後編が発売されたが、それ以来続刊はなく、未完の作品となっている)。アニメの2期は製作が決定していたが、一方京都アニメーションは「らき☆すた」を製作しており、この作品にハルヒネタを散りばめていものの、2期については長い間音沙汰が無かった。ハルヒ2期待望論は、一部の動画職人がMADを作る原動力に寄与したかもしれないが、ニコニコ動画を日々眺める一方で、業を煮やす人も多かっただろう。

 大学3年の春には、「ハルヒ性転換シリーズ」なるものがニコニコで流行し、キョンならぬキョン子の可愛らしさに「ツンデレ」ならぬ「ダルデレ」という言葉が生まれた。このブログの最初期は、この関連で検索してくる人が実に多かった。また、冬にはハルヒ2期よりも先に、スピンオフのパロディ作品で「エース」に連載されていた「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」がYoutube上の配信という形でアニメ化された。以上2つの現象は、なかなか始まらない2期への渇望が背景にあったのかもしれない。ところで直接には関係ないが、ハルヒシリーズを刊行している角川書店がらみでうちのサークルの人の絵がちらりと映る(?)という因縁もあった。

 大学4年の4月、就職活動真っ只中の時期、「けいおん!」とともにハルヒの2期は開始した。しかし、1期の内容を含めて完全な時系列順で放送されたため、新作はどうしたのかといぶかしがる声がネット上に蔓延した。ようやく6月後半になって「笹の葉ラプソディ」が放映されたとき、安堵した人は多かったろう。
 
 だが、7月になって「エンドレスエイト」の放映とともに、思わぬサプライズがあった。なるほど、確かに「エンドレスエイト」は主人公たちが15000回以上の夏休みを繰り返す内容の短編だが、アニメでは1話か2話分で終わるだろう。そう思われていた。しかし、主人公たちは毎度毎度元の時間の流れに戻る手がかりを得られず、彼らの夏休みは繰り返された。
 
 ネット上では、同じ内容の話を何度も繰り返すのはいかがなものかという意見が、当然のごとく巻き起こった。これでDVDは本当に2話ごとの収録にするつもりか、京アニと角川は本気なのか?その一方で本編では15000回以上の繰り返しを体験した長門の気持ちをわれわれ視聴者も体験しているのだという穏健派も数多くおり、もちろん諦観を決め込んだ人々もいた。
 
 かくいう自分は、毎週話が進む期待と、「あぁ、今週もだめだったか」と落胆を繰り返しながら見ていた。そのころ自分は内定をとったあとも就職活動を続けており、塾の講師として夏期講習のかたわら、裏では友人にさえ言わずにMBA大学院入試の勉強を進めていた。6月に受験を思い至ったので9月の試験が来てほしくないな、自分もハルヒの力で9月1日になった瞬間に8月半ばに戻ってほしいものだと思いつつ、毎週見ていたのを覚えている。

 さて「エンドレスエイト」は実際のところ同じ話とはいえ、微妙に脚本は変えてあり、カメラのアングルや登場人物の服装に至るまでこと細やかにアレンジを加えて、8話分放映された。ようやく終わったのは8月も末のことであった。新作分14話のうちの8話である。新作分1クールのうち3分の2ほどを使ってしまった計算だ。これを暴挙と見なすか、面白い仕掛けと捉えるかは人それぞれだろう。
 
 私の意見としては、「エンドレスエイト」はせいぜい3話までくらいにしておくべきだったと思う。確かに、1期放映時の時系列シャッフルはユニークな仕掛けであった。一定のインパクトを残すよいサプライズだっただろう。しかし、2期当時、ハルヒは知名度はすでに抜群で、特別なサプライズは必要なかった。私としては、余計な仕掛け無しで、淡々と原作の話をアニメにしていけばよかったと思う。
 
 そもそもハルヒ1期の評価が高かったのは、京都アニメーションの丁寧な作品作りではなかったか。「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品は動的な面白さよりも、静的な味わいのほうがある。爆発的な面白さはあまりない。1期はこのアニメ粗製濫造の時代にしっかりした作品作りをしたことが、ブームとあいまって評価されたのだから、その力を「エンドレスエイト」8話分に費やしたことはいささか腑に落ちない。十分な人気を確立していた状況で、あえて話題づくりに走ることなく堂々と2期を放送していれば、じっくりその作品を堪能できただろうに。いわば横綱相撲のほうが似つかわしかったように思う。
 
 その後秋には順調に、残り5話分で第2巻に相当する「涼宮ハルヒの溜息」がアニメで消化され、1期に放送された内容で時系列に則って締めくくられた。こうして幕を閉じた2期のあと、小説第4巻が劇場版となる。4巻目の「涼宮ハルヒの消失」はシリーズ中屈指の人気を誇る巻であり、私自身も最も気に入っている。長門有希に焦点が当てられた本作の映画が、2月6日に公開されたのは私にとってはずいぶんと因縁めいているし、長門と同じ名前の方と一緒に見たのも今となっては良い思い出だ。
 
 さて、「涼宮ハルヒの消失」は、以下の3点がお勧めポイントだ。
 
 まず第1に、京都アニメーションの面目躍如にふさわしいクォリティの作品に仕上がっている。登場人物の動作や表情のみならず、背景やモブなども非常に細かい点にまで書き込みが行き渡っている。絵の動き方も実にすばらしく、これぞアニメーションである。2時間40分の大長編においてこれだけ丁寧な作りこみとは、恐れ入った。例のバッドイメージなど、たやすく払拭されるだろう。「エンドレスエイト」に失望した人や、10巻発売を待ち焦がれる人はぜひ見に行くべきだ。
 
 第2に、原作小説にない音楽や演出、登場人物の台詞が実に効果的に作品に彩りを与えている。動きや音がある映画ならではの表現が、小説を読むとき行間から感じるのとはまた違った感覚で、心に迫ってくる。一度小説を読んでいても、なんら問題なく、いやそれどころか十二分に楽しめる。原作をしっかり踏まえたうえでよい形で作品が仕上がっているし、各種加えられた味付けが風味を損ねることなくなじんでいる。アニメ、原作、そして小説4巻が好きな人は、無条件で見に行くといい。
 
 第3に、長々しい説明台詞はどこにもなく、過不足無しにうまく作品としてまとまっている。事情に精通していない原作未読の人でも、不完全ではあれど十分に楽しめるだろう。4巻を映画にしたものだから、原作の1巻(憂鬱)、2巻(溜息)、3巻(退屈)を読めばなおさら面白い。最低限1巻の「憂鬱」だけでもいいし、伏線の「笹の葉ラプソディ」が収められた短編集の「退屈」もあわせて読めば十分だ。映画作りの話「溜息」は読んでいなくても問題ない。読んでおくと作品の構造上、カタルシスが大きい。原作をさらっと読んで映画館に足を運ぶ。これだけで、2時間40分を堪能することが可能だ。
 
 私の大学生活4年間は、「涼宮ハルヒの憂鬱」とそのインターネット上の隆盛と重なる時期だった。いわば、私は同時代人である。ソ連の崩壊を当事者として体感した外交官・佐藤優氏は「自壊する帝国」を上梓し、自身も含めて歴史の大きな渦に巻き込まれた人物群像を活写した。まぁ、そんな大げさな話ではないが、こうしてある種の社会現象を自分の人生の一部として語ったこの記事が、後世の人がググって読んでくれたら幸いである。とりあえず、同時代人の皆さんは、映画館に行こう。そこにはすばらしい作品が、皆さんを待ち受けている。

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