馬車郎の私邸

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冷静・丁寧な叙述が描き出す男たちの生き様:感想「夜の虹を架ける―四天王プロレス リングに捧げた過剰な純真」 市瀬英俊、双葉社 #ajpw #noah_ghc

本書は四天王プロレスを巡る歴史書だ。823ページの分量は、読むものに覚悟を迫る。通史を多角的な視点で述べるとともに、豊富な取材記録やインタビューをもとに細やかな点も含めて四天王プロレスを語る史料として、歴史学を齧った人間としては、希少性が高いという強い印象を受けた。千円札2枚(と消費税)でこの本が手に入るのは明らかに安い。

この本に対して、いわゆる暴露本が提示する真偽不明の裏話、下卑た関心に対する安易な答えといった類は期待してはならない。派手さや大げさな話はないが、一方で80~90年代の四天王プロレスおよびその背景やバイプレイヤーについても、過不足なく手厚く丁寧な筆致でまとめられている。当座の即物的な理解を求めず、歴史書と捉えて紐解くのが、事前の期待値の調整としてはちょうどよいと考える。

著者である市瀬英俊記者は、「週刊プロレス」の記者として全日本プロレスを長年担当。また、試合後の"シークレットサロン"の構成員の一人だった。すなわち、キャピトル東急ホテルのコーヒーハウス「オリガミ」でジャイアント馬場夫妻、和田京平レフェリー、ターザン山本編集長らと、試合の振り返りとカード編成のアイデア出しを行っていた。ただし、当事者でありながら、回顧録にありがちな自己弁護や責任転嫁の類はほぼ見られず、状況や立場を明らかにしたうえで意見を述べている。むしろ自分の失敗談や後悔、怒られた話などが多く、そうした点も人間味を感じさせる。

「ゴング」がいわば「標準レンズ」の専門誌ならば、「週刊プロレス」は望遠、広角レンズを使い分ける週刊誌だった。いわゆる「エッジが効いた」誌面であり、それは良くも悪くも随所で物議をかもした。時に何度か団体による取材拒否も引き起こしたわけだが、本書はできる限り冷静な叙述に努めている点で好感が持てる。要は、知的誠実さが感じられる文章ということだ。

ただし、懇切丁寧な背景の説明や両論併記については、長い本を読み慣れない一部の読者にはやや退屈に映るかもしれない。しかし、1つの事象を捉える上で文脈の理解は非常に重要な点だ。特に、近年はネットの時代とあって、断片的で、真偽不明な、質にばらつきの大きい文章がありふれている。そうした時代においては、歴史学者の呉座勇一氏が指摘するとおり、「因果関係の単純明快すぎる説明」、「論理の飛躍」、「結果から逆行して原因を引きだす」などの手法が、読み手の安易な納得感を引き出すために用いられがちだ。

いわゆる四天王プロレスにおいて、どれだけ凄まじい攻防が行われていたかは、あらためてここで書くまでもない(あえて、一例を示すなら、「福澤朗アナの名実況について―1995年6月9日三沢光晴、小橋健太vs川田利明、田上明を例に―」の記事をご参照いただきたい)。三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の人生とリング状の試合の細部に目配りした上で包括的に叙述がなされた書物は、現代において希少な一品に思える。著者は、記者として直接レスラーに話を聞いて書いただけでなく、カメラマンとして試合を間近で見ていることも、一次史料としての価値を一層高めている。

「弱音を吐いて、どうにかなるもんだったら、吐きますよ。てめえしかわかんないものを吐いてもしょうがないでしょ、と。試合に出ると決めた以上は、目をかばっても仕方ないし、落ち込んでもしょうがないし。」(三沢光晴)

「投げっ放しジャーマンの受け身なんて、どう考えたって取れるわけがない。そんなの試合でやらない限り……。誰もそんなケガするようなこと、教えてくれるわけがないし。そんな受け身、ないからさ。試合が終わって生きていることに感謝っていうぐらい、ホント、何回もこれ死んだかなと思うことがあったよ」(川田利明)

「せっかくプロレスを見に来てもらったんだから、喜んで帰ってもらおうと。それは常に思ってたよね、プロとして。なーんだ、っていう思いで帰らせるわけにはいかない。でも、セミの試合がワーッと沸くじゃない。オイオイ、と思ったよ。どうすっか、やばいなあって」(田上明)

「三沢さんとプロレス観について話し合ったことはないですけど、お互いに覚悟を持って前の試合を乗り越えようとする気持ちがぶつかり合った結果なんですよね。無謀なことをしようとか、そういうのはまったくなかった」(小橋建太)

四天王プロレスには様々な論評があるが、4人の言を集約すれば、単に目の前のことを一生懸命やった結果、ということになろう。「危険」とか「頭から落とす」とか安易で単純な言葉で片付けられるような性質のものではない。私はリアルタイムで見た世代ではないが、四天王プロレスをあえて一言でまとめてるならば、それは「生き様」だろう。価値判断は見た人それぞれがすればいいことだ。しかし、生き様には敬意が払われるべきだと考える。その点については異を唱える人はあまりいないのではないか。本書は、一級品の重要史料だ。

夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」
市瀬 英俊
双葉社
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