馬車郎の私邸

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「2009年6月13日からの三沢光晴」長谷川 晶一著、主婦の友社

2009年6月13日からの人生を生きる人の心の中に三沢光晴は生き続けている。「2009年6月13日からの三沢光晴」を読んであらためて実感した。15年6月7、8の土日で妻と広島旅行に行った時、私は心のなかで三沢光晴に哀悼を捧げた。

2009年6月13日当時の私は大学4年生だった。この日広島で行われていた齋藤彰俊、バイソン・スミスの王者組対三沢光晴、潮崎豪組のGHCタッグ選手権の結果を見るのを楽しみにしていた。ついその1ヶ月前に潮崎が大奮闘した日本武道館でのグローバルタッグリーグ戦優勝戦の激闘を目の当たりにしていたし前年のグローバルタッグリーグ戦開催はNOAHの生観戦のきっかけであり、そこで優勝したのは齋藤彰俊・バイソン・スミス組であったため思い入れがあったからだ。アルバイトをしていた川口の個別指導塾で一日の授業を終え、そのまま友人の同僚講師たちと自転車で王子のスポッチャへ遊びに行って、土曜の夜を明かした。朝帰りで家に帰ってPCを立ち上げてみると信じられない知らせが目に飛び込んできた。その日書いた記事が残っている(三沢光晴さん、リングに死す…)。

あれから6年、ずっとノアを応援してきた。大学院を卒業した時、卒業証書を持っていくと選手全員のサイン色紙をもらえる卒業おめでとうキャンペーンで丸藤副社長で色紙をリング上で頂いた。2012年の春に証券会社に就職(日経平均株価は10090円だったと記憶している)し、最初の配属は難波支店だった。幸いにもしばしばビッグマッチが行われる大阪府立体育会館も近かった。仕事帰りに梅田ナスキーホールの試合に駆けつけたこともあった。2年4ヶ月勤め、昨年の8月から秋葉原支店に配属になった。亀戸に居を構えたので、聖地後楽園ホールにもとても行きやすく、ディファ有明、有明コロシアムや新宿FACEにも足を運ぶのもたやすい。妻とNOAH観戦に出かけることもしばしばで今では通算6回に及ぶ。錦糸町駅も使えるので半蔵門線で九段下まで行って日本武道館にも行きたいところだが、惜しむらくは今のノアは日本武道館大会は開催していないことだ。

本作は入念な取材を通して6月13日当日を複数の登場人物の目を通して克明に描き出している。レスラーのみならず、週刊プロレス専属カメラマン落合史生、会田忠行、当時の週刊プロレス編集長佐久間一彦、ノアファンの2人の医師武田研、二宮一郎ら……事態に直面した人物のそれぞれの心の葛藤や逡巡、苦悩が独特の臨場感を醸し出している。また、こうした人達と三沢光晴の関わりにまつわるエピソードは心優しい三沢光晴の人となりを示していて、故人が偲ばれる。

最後の対戦相手となった齋藤彰俊は、三沢とはどんな男なのか、三沢の三沢たるゆえんは何だったのかを次のように語る。
「レスラーにとって、一番の恐怖は攻撃ではないんです。こちらがさんざん攻撃して、すべてを出し切ったのに、そのすべてを受けきって、なおも立ち上がってくる。そうなったら、もうどうすることもできないんです。すべてを受けきる強さ、全体を包み込む大きさ、それが三沢社長でした。相手の攻撃をすべて受けきって、相手に何かを悟らせて参らせる。そういう偉大さでした。」

三沢イズムについて、潮崎豪は「自由と信念」を挙げ、西永レフェリーは「信念を持って、それを貫く」と言い、浅子覚トレーナーは「行動で示す」ことだとし、鈴木鼓太郎は「ノーと言わないこと」と語る。小橋建太は「責任感と覚悟、決意、試合にかける思い」を学んだと話す。丸藤正道は「プロレスだけではなくて、人生そのものの表現において人間力がある人」と評するが、まさしくいずれもそのとおりである。各々が三沢光晴に何を見出し何を得るのか、百人百様の答えが存在する。「三沢光晴が命を賭けて伝えたかったこと―。その答えを探すために、誰もが日々を生きていく」のだ。

本書は一人の偉大な男の死と当事者たちを描くノンフィクションであり、プロレス史における史料的価値の高い一冊だ。しかし、それ以上に三沢光晴の生き様とその最期を通して、自分自身の人生に向き合うための一冊としての側面もある。まさに出色のルポルタージュと言えよう。プロレスファンのみならず、広く一読をお勧めしたい。
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2009年6月13日からの三沢光晴
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