馬車郎の私邸

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三沢光晴「理想主義者」:第1章「才能とは何か」要約

<はじめに>

お互いが極限の力を振り絞り、何度倒されてもくじけない精神力と肉体的な強さをぶつけあう。
いつの時代もプロレスは人々を熱狂と興奮の渦に巻き込んできた。
しかし、長い歴史の中でプロレスという競技がいまだ確固たる完成形を見せていないという側面もある。

いったい、プロレスとは何なのか?
屈強な男たちがリングで繰り広げる戦いは一見シンプルだが、そこにはレスラーたちの血のにじむような努力で習得した技術と、柔軟な思考が詰まっている。

<第1章「才能とは何か」>
目次
・基本をおろそかにするものに勝利の女神は微笑まない
・人並みの能力でも、使い方次第で長所になる
・突発的なアクシデントのときこそ、冷静さを保つ
・好きになるという才能
・素質のあるなしは他人の決めることではない
・信念は奇跡を呼ぶ
・失敗する勇気こそ成長への起爆剤
・自分の武器にはとことん惚れ込め
・華やかな舞台は、地味な練習を積み重ねた先にある


プロレスには、プロスポーツ、プロ格闘技としての基礎があり、長い歴史の中で培われた技術がある。
プロレスは格闘技、試合の中で生まれるファンとの対話など、多種多様な要素を集めて行われており、何も考えずに見ても楽しめるかもしれない。
しかし、プロレスの奥は深い。
知れば知るほど、格闘技の枠を超えた感動を味わってもらえると思っている。

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ときには相手の得意技をわざと受けて身体的な強さをアピールすることもあるプロレスだが、それは受身の確かなる自身があってこそ体現できる最高峰の技術といっていい。
ダイナミックな動きは会場を盛り上げ、ファンはプロレスラーの肉体的な強さを実感する。
だが、最近はますます、受け身を取りきれない投げ技や破壊力の有る打撃、加えてクリエイティブな若手選手が増え、私も全ての技を受けきることが難しくなってきっている。

打撃とは、相手の予測を裏切るものでなければ、いくら大きな威力を持つ技であっても致命的なダメージは与えられない。
プロレスラーには強靭な肉体が必要だが、同時にクリエイティブな発想も持ち合わせなければ、どんなに才能に恵まれていても一流にはなれない。

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私にとって今思い出しても痛みがよみがえる、予期せぬアクシデントの一つは、秋山準との試合で起きた。
彼の足を目がけてタックルし、うまく倒したと思った瞬間、秋山の足が思わぬところへ跳ね上がり、私の股間を見事に直撃した。

観客は気づいてなかったと思うが、脂汗が噴出し、痛みで体を動かすことさえままならないダメージを受け、私は苦しんだ。
試合は6人タッグマッチだったが、私の異変に対戦相手はおろか、パートナーさえ気づいていない。
必死で自分のコーナーへタッチに行ったが、交代したものの激痛が和らぐことは無かった。
しかし、試合中は観客にばれないように何事も無かったかのように済ましているしかない。
結局、痛みは試合が終わっても続き、痛みがひくまで1週間ほどかかった。

また、スタン・ハンセンとの試合で予想外のアクシデントから肋骨を折るアクシデントもあった。
私がうつぶせに倒れているとき、背中にエルボーを落とされたのだが、倒れた際に胸とマットの間に腕が入ってしまった。
エルボーを落とされた衝撃で拳が胸に食い込む形となり、肋骨が折れてしまったのである。

身体のどこかが出血したり、大きく晴れ上がったりすれば、ファンのほうもダメージの度合いを想像できる。
だが、体の内部に負った怪我にはなかなか気づかない。

結論として、私が言いたいことは、予測できない事態に陥ったときこそ、
冷静になって急場をしのぐ方法を考えなくてはならない、ということだ。

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「体はボロボロなのに、なぜ現役を続けているのですか?」
よく聴かれる質問だ。
毎日のように体のあちこちが悼むが、それでも試合となれば、
そんなことは気にせず戦っている。

なぜと問われれば、「プロレスが好きだから」ということにつきるだろうか。
プロレスには多くの魅力がある。あげればキリがないほどだ。

例えば、プロレスでは、どんな体型をしていてもそれが個性として認められる。
体重制限や階級があれば、選手の体つきは似通ってくる。
が、プロレスはそうではない。

また、常に新しい刺激にあふれているということも、
私がプロレスを愛する理由の一つである。
1試合1試合に全く別の味わいがある。
それを感じるたびに、新しいことにチャレンジしてみようと、
前向きな気持ちになる。

いくら好きなことでも上達するまでには苦労やつらさを伴う。
いつかは壁にぶつかる日が来るだろう。
そこが本当に好きかどうかの境目ではなかろうか。
目の前に乗り越えなければならない困難があるとする。
克服しようとするか、妥協するかは個人の自由だ。
だが、本当にそれが好きで、自分の職業にしたいなら、
どんなことまで限界までがんばる価値はあると思う。

好きなことをやめてしまうと、いつか後悔となる。
やめてしまえば、そこにどんな魅力があり、
自分にどんな才能があるかもわからない。

私も好きでなければ、プロレスを続けなかっただろう。
怪我をしながら、苦しい思いをしながらも私が戦っているのは、
プロレスに生きがいを感じているからだ。
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何かを目指すとき、自分の才能を知った上で目標を掲げなければ、
努力に対して成果がついてこないこともある。
そのためには、自分の個性は何なのかを知らなければならない。
特にプロレスの場合、人と同じことなどやる必要はなく、
むしろ違った良さを見せることが成功につながる。

才能の有無は、他人が簡単に判断できるものではない。
最終的には、自分で判断するのが望ましい。
一度はじめたことは、つらいことがあっても、がんばって続けることが大事になる。
いつ眠っていた才能に気づき、
時代に必要とされるかはわからない。
自分を信じない、がんばって生きていない人に幸運がもたらされることは無い。
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一流のプロレスラーは、ただ勝つと言う結果では満足しない。
お互いの闘志と技術を全てぶつけ合い、
相手の特徴、長所を全て引き出した上で、
完全なる勝利を目指そうとする気質を持っている。

プロレスにおいては、激しい攻防の中で互いの力を存分に引き出してこそ、
面白い試合が出来る。
また、プロレスは、自分の動き、相手の動き、会場の雰囲気、試合展開など、
あまりにも多くのことを考えて戦わなくてはならない競技だ。
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レスラーの仕事は、プロレスを観客に見せ、それに見合った報酬を得ることだ。
人々の胸を打つ試合をして、それが評判になれば、次の試合で観客が増える。
人々を魅了するためには、リング上で答えは出さねばならない。

トレーニングについては、ナルシスト的な要素を持っていたほうがいい。
その体で勝負をするのがプロレスラーだからである。
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一時期、関節技中心のプロレスが流行したことがあった。
しかし、実際にリングで戦う私にしてみれば、関節技主体のプロレスは、
練習を観客に見せているような感覚である。

スパーリングの大部分を占めるのが関節技の練習であるが、それはいざというときのために行う。
一流レスラーの多くは、一撃必殺の関節技の技術を持っている。
つまり、関節技を切り返すテクニックがなければ、一瞬で負けてしまう。
特に初来日でどんな相手なのかもわからない外国人選手と戦うとき、
あらゆるものに対応する技術を持っていなくてはならない。

関節技は確かによほどの必殺技で無い限り、主役にはなりえない。
だが、相手のスタミナを奪う方法として、これに勝るものは無い。

人は誰でも、自分の仕事に華やかさを求める。
ひとつのものをマスターしないうちに、すぐ次に目を向けてしまうのでは、成長は望めない。
何をやるにしても、基礎からコツコツと積み上げて、自分の引き出しを増やしていくことが重要である。