馬車郎の私邸

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マイバッハ谷口と、世阿弥「風姿花伝」

NOAHの中堅ヘビー級戦士谷口周平選手は自衛隊出身であり、たしかなレスリングテクニックと、巨漢もぶっこ抜くスープレックスというウリはあるものの、なかなか中堅から抜け出ることができない。試合運びもうまいほうではなく、どちらかというと不器用という評価が定着していた。最近では佐野巧真や齋藤彰俊といった強豪ベテランからも3カウントを取れるようになったものの、目立った変化というものはないように思われ、いつか決定的に変わると期待の眼差しを向けるファンももちろんいるのだが、前よりいくらかエルボーの威力が増したかなという程度で、ブレイクスルーはどうにも遠い。

苦悩の日々から抜け出すための決断であろうか、谷口選手は2月14日にKENTAが率いるNO MERCYに加入した。はてさて、今度こそ変わるきっかけになるのだろうか。KENTAが試合前に出したコメントによると…

2月14日の敗戦は何か意味のあるものだったのだろうか。
それともただの敗戦だったか。谷口は変わるためにNMCに入った。
そして俺たちも新しいあいつを必要としている。
ならばあの日の敗戦を意味あるものにしよう。
過去との別れの日にしよう。
決して戻れない道にあいつは足を踏み入れた。
谷口周平はもういない。
2月25日あいつは生まれ変わる。


決して戻れない道         →無題
確かに、これは戻れない……
今回、類似の感覚を思い出してみると、あの真面目な飯塚さんの変貌ぶり以来の衝撃である。(参考:10分で解かる天山広吉×飯塚高史 の友情タッグ)

肝心の試合内容の方は、高山善廣と組んで丸藤・ヨネ組を撃破と、ひとまずの結果を残す。ヨネに対し、投げ捨てジャーマンを5連発→ノド輪落としから変形パワーボムという、容赦のない連続攻撃で勝利したそうである。観戦した人から聞くところによると、この新技の変形パワーボムは、かつて殺人医師の異名をとったスティーブ・ウィリアムスのドクターボム(サイド・スープレックスの要領で相手を抱え、その状態からパワーボム)と同型という話だ。なるほど、ぶっこ抜く馬力を活かすにはいい技で、元々の持ち味を生かしている。
丸藤、●ヨネ - 高山、○MAYBACH谷口 
※ 13分29秒、変型パワーボム → エビ固め


ただ、この異様な風体はなんだ。よくあるジュニアヘビー戦士やルチャドールの華やかな色使いはそこにはない。オペラ座の怪人のような無機質なマスクだ。
(むしろガンダムSEEDのラウ・ル・クルーゼ?)index
なかなかプロレスラーのマスクとしては珍しい部類に入るのではないか?

そして極めつけはリングネーム。
マイバッハ谷口だそうである。
どういう…ことだ…
マイバッハは外車の名前だが、これはおそらくKENTAのセンスなのだろう。これまた珍妙なリングネームである。そもそも覆面レスラーのリングネームに名字が入るのもあまりないような……?たとえば、獣神サンダー・ライガーがライガー山田だったら妙な気分になる。そんな違和感。AmgSN8YCIAE0TWl

ともあれ、マスクマンになることに意味がないというわけではない。決して戻れない道に踏み入れた以上は歩くしかないのだから。アントニオ猪木も言っているではないか。(元ネタは一休宗純だっけ?)
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」

仮面についてもあらためて考えてみよう。まず、仮面の意義とは、Wikipediaから引用すると以下のとおりである。
顔を覆って隠すことはさまざまな意味合いがある。他人からはわからないということのみならず、装着するマスクがかたどっている神・精霊・動物(実在架空を問わず)等そのものに人格が変化する(神格が宿る)とも信じられ、古くから宗教的儀式・儀礼またはそれにおける舞踏、あるいは演劇などにおいて用いられてきた。こうした性格のものは、日本においては一般的にはマスクといわれず、仮面と称されることが多い。x2_b254601
そういうわけで、仮面をつけることで、ひとまず変わることそれ自体は達成できる。変貌という言葉は読んで字の如し。そこから、発展させることができる。これはサラリーマンにはできない。プロレスのリングという非日常の空間だからこそできることである。

仮面ということで、当然表情は変わらない。内心を悟られずに戦うことができるのは、もしかしたら何か爆発のきっかけになるかもしれない。野次に対する防衛手段にもなろう。やりたい放題やって、はっちゃけるきっかけとしてはこれ以上ない手段だ。また、仮面について、表情が変わらないということから、の面を思い出した。そこで、世阿弥の「風姿花伝」を紐解くと、こんな言葉がある。

「物狂いの品々多ければ、この一道に得たらん達者は、十方へわたるべし。繰返し繰返し、公案のいるべき嗜みなり。」(物狂いの種類は多いから、この芸をうまくやれるようになったら、なんでも上手にこなせるはずで、だからこそこの芸を繰り返し、工夫をこなしながら、稽古を積み重ねるべきである)

一度存分に物狂いしてみてはどうだろうか。
(飯塚さんや、平澤光秀はもう戻ってこれないだろうけど……)
王道正統派のNOAHのリングに狂乱の嵐が吹き荒れたらどうなるのか。
一度見てみたい気もしないでもない。

また、世阿弥は能の奥義として「目前心後」「離見の見」という心得を述べている。
「目前心後」とは、自分の眼は前を見ていても、心は自分の背後に置かれている状態である。「離見の見」とは、役者が能を舞っている最中は、舞っている自分を冷静に見る別の自分が必要であり、言い換えれば能舞台すべてを一望するような別の認識主体が大切であり、それは観客の目でもあるということである。このような「目前心後」「離見の見」の心得はプロレスにおいても重要ではなかろうか。仮面をつけてファイトすることで、見えてくることもあるかもしれない。

世阿弥は「さのみに、善き悪しきとは、教うべからず」(むやみに良い、悪いなどと、直してはいけない)」とも言っている。我々オーディエンスとしては、しばらくは(笑いをこらえつつ)生暖かく見守るとしようでないか。
それにしても、試合後のこの和やかなマイク風景は何なんだ?
KENTA「見た? 新しいコイツ、見た? あまり気に入ってない感じ? そういうのもいいよ。これからまだヤバイ感じになるから、見といた方がいいよ。今日からコイツ、変わったから」
(もう十分ヤバイのに)これからまだヤバイ感じになるとは一体どういうことだ!?
マイバッハ谷口から目が離せない!