馬車郎の私邸

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放火・殺人事件のニュースバリューと試されるメディアの自制心―京都アニメーションの火災事件に際して

京都アニメーションの火災は衝撃的な事件だ。朝日、読売、毎日各紙は夕刊をほぼ1面を使って取り上げており、日経でさえ上部左半分で取り上げている。17:49付日経電子版によると16人死亡、十数人心肺停止とのことだったが、執筆時点で死者は25人に増えていると書いた矢先、さらに33人に拡大してしまった。100数十人の会社でこの悪夢、受け入れがたい現実に心が苦しい。
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まずは、何よりも謹んでお悔やみ申し上げる。「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」「氷菓」など、私自身は大ファンである。同社の丁寧な仕事ぶりに対して、称賛の念を惜しまない。ノートルダム大聖堂の火災とまでは言わないまでも、人的・文化的損失の面でも重大な影響がある。卑劣かつ暴虐極まる犯行に及んだ放火魔は許しがたい。いかなる動機と理由があろうと、裁判と法律に則った最大限の処罰がなされるよう、司法の裁断を望む。

Zガンダムの主人公カミーユ・ビダンのように「(毒ガスによる民間人虐殺の場面で)なんでこうも簡単に人を殺せるんだよ! 死んでしまえ!死んで…」とさえ、本音では言いたいくらいだ。しかし、ここで私自身とメディアは、パプテマス・シロッコの最終回のセリフを思い起こす必要がある。すなわち、「生の感情を出すようでは、俗人は動かすことはできても我々には通じんな」というものだ。理性あるニュースメディアや個人は、哀悼の意は表しても、感情は暴発させず、抑制に努めるべきだ(私も我慢し、冷静な筆致に努める。トランプ大統領のように感情に任せた呟きはせず、まとまった文章で考えを書く)。

このところ、殺人事件に対して過剰な報道が目立つ。たしかに、火災による死者数で有数の事案になりうる点で、報道価値がある面については否定はしない。震災などを別にして戦後日本のビル火災史上最悪の惨事は、死者118名の千日デパート火災(72年)と言われる。ホテルニュージャパン火災(82年)が死者32名で、ややもすると、これすら上回る可能性もありうるのが恐ろしい。死者44人を出した歌舞伎町の雑居ビル火災が放火でなかった場合、放火事件として戦後最悪となる。地下鉄サリン事件の死者13名をもしのぎ、もはやテロ級とさえ言える。

しかし、だからといって、他のニュースを放り出して大騒ぎしていいということにはならない。メディアにとって、火災および噴煙の映像や写真は「絵になる、わかりやすい、恐ろしい」わけで、万人に対する訴求性がある。特にテレビのニュースやワイドショーでは、繰り返し繰り返し、殺人に係る事件について取り上げる傾向が強い。だから、「お」 押さない「か」 駆けない「し」 喋らないの原則に従うなら、 、「お」 大騒ぎしない「か」(不安に) 駆り立てない「し」死を安易・粗雑に扱わない、ことだ。

ニュースは常に「歪んだ鏡」である。当たり前のことはニュースにならない。実のところ、殺人は珍しい事象であり、メディアはしきりに報道したがる。「犯罪統計」によると殺人の認知件数は915件、放火の認知件数は891件でしかない。消防白書によると、17年の火災による死者数は1456人で、1日あたり4人。だが、「自殺対策白書」によれば18年の自殺者数は21321人と桁違いだ。殺人や放火により、見知らぬ誰かに殺されるよりも(殺人事件の多くは顔見知りか親族によるものだ)、実際には自分が自分を殺すことを恐れなくてはいけないのである。

強欲な株式市場は、全般に買い手掛かり不足のなか、セコムやALSOKなどセキュリティ大手、消防関連銘柄に目をつけるのかもしれない。だが、それは身勝手な行動にすぎない。勝手にやれという話だ。アダム・スミスが「国富論」で述べるとおり、多様な主体が利己的な行動を取った結果、見えざる手に導かれて、市場価格は均衡する。

しかし、スミスの「道徳感情論」のことをメディアは思い出すべきだ。調和ある社会構成の根幹には個人の自己愛・自己利益の追求に加えて、「共感(同感)」が重要である。社会の公器たるメディアは、報道において責務を負っている。まず、関係者配慮する必要がある。そのうえで、社会を良くすること、あるいは国益などの観点から、報道の優先順位や分量を考慮しなくてはならない。

メディアにはこういう言い分もあるだろう。「いや、待ってくれ、尺が埋まる、紙面が埋まるんだ。大衆もそのニュースを見たい、聞きたいんじゃないか?」。気持ちは分かる。私も仕事上、書き物について日々、毎週、毎月締切を抱える身だ。放火魔をはじめ、犯人と目される容疑者の"心の闇”は、大衆の俗悪な興味をそそるし、特にサブカルチャーに係る事件は、"古びた・安易で・見当違いの"ステレオタイプに訴えるのもたやすい。だが、そうした事件の受け止めはもう、やめにしないか。シャーデンフロイデはナンセンスだ。

だから、せめてメディア関係者は大津の事故のように、絵になる図をカメラに収めるために、過失なき犠牲者の関係者に対する無礼で無思慮な質問の投げかけは、くれぐれも厳に慎むべきだ。テレビメディアは、経済・社会における優先度を考慮し、報道時間・編成を適正なものにする必要がある。クォリティ・ペーパーはタブロイド紙との差を打ち出すべきだ。下世話な興味に流されず、活字のメディアは一般的な防火・防犯対策、アニメーション業界の窮状や日本が取るべき文化戦略の展望、より重要性の高い将来的な経済・社会に関する論考に紙面を割くべきだ。ネットメディアも他山の石ではない。見出し・ヘッドラインの鮮烈さを競うのではなく、冷静な報道に努めるべきだろう。

ノートルダム大聖堂のときのように、アニメーション文化の振興と京都アニメーションの再興のために、寄付金を募るとしたら、それは重要なアイデアだ。こうした試みは大いに推奨されるべきだろう。ニュースの重要性に応じた相対的な報道分量と強度を考慮した上で、自制心と慈愛・哀悼の心を持って適切に表現するならば、そのようなメディアは評価されるべきだ。だが、そうでないならば、どうか。今回の件は、試金石になる事象である。
道徳感情論 (講談社学術文庫)
アダム・スミス
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