馬車郎の私邸

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漫画・アニメの実写版を楽しむための5つの方法―実写版「氷菓」「ニセコイ」「ママレード・ボーイ」を例に

ハリウッド版ドラゴンボール「DRAGONBALL EVOLUTION」、実写版「鋼の錬金術師」…等々、素晴らしい漫画やアニメを原作にして作られた実写映画に対して、失望、悲嘆、憤怒といった情が湧き起こるのはよくあることだ。

近年は、(特に邦画において)オリジナル作品よりも、一定の収益が見込めるであろう原作付きの作品を劇場公開の映画にすることが多い。長編の漫画やアニメは2時間の尺に収めるのは必然的に不可能だし、シリーズ物にするせよ、1作目のヒットがなければ2作目は作られないだろう(「るろうに剣心」の実写版はこの点で幸運だった)。その意味で、多くは不幸な出来栄えにまずもってなりやすい。

加えて、漫画やアニメの世界観や登場人物をうまく原作に寄せるか、原作の良さを生かして劇場映画に仕上げるのは至難の業と言えよう。ジャ○ーズや芸人、売出し中のモデルや新人役者がキャスティングされているとなると、いよいよ警戒せねばなるまい。不運なミスキャストで、尽力虚しくまずい演技になってしまう役者も中にはいるからだ。

しかし、それでもあえて、この種の実写版の劇場映画を面白く見る方法があるのだと、私は言いたい。多大な予算と労力を投じて出来る総合芸術が映画だ。前評判や風説によって、誤解や悪評、ウェブ上の同調圧力などによって過小評価されている、あるいは大方の受け止めとは異なり個人ベースでは思いのほか面白いという可能性もありうる。そこで、5つの方法を考えたので、ぜひ参考にしていただきたい。

第1の方法は、事前期待値の低さを生かして、虚心坦懐に作品に向き合うことだ。これだけでも、意外に悪くないというケースはある。近年はネットのまとめサイトやSNSによって、静止画・動画によるビジュアル先行で、予告編や本編を見ないうちから、ネガティブな先入観が形成されてしまうパターンに陥りやすい。したがって、しっかりと制作陣が努力して(その努力が噛み合っていれば)、実際には案外面白い場合も多いのだ。

"思ったほど悪くない"という受け止め方になれば、それだけでも成功だ。株式市場における四半期決算のように、大幅減益決算なのに大幅上昇、大幅増益決算なのに急落と言うのは、事前の期待値と実態の差によって生じる。それは映画も同じことだ。映画の下馬評は、いわばアナリストコンセンサス(事前予想の平均値)のようなものだ。

このケースで意外に悪くないと思ったのは実写版の「氷菓」だ。アニメ版は米澤穂信のやや地味なミステリ小説を原作に、京都アニメーションの丁寧な仕事ぶり(先日書いたように謹んでお悔やみ申し上げる)と中村悠一、佐藤聡美、阪口大助、茅野愛衣らの好演(いずれも私が好きな役者だ)により、素晴らしい作品に仕上がった。

実写版はどうか。主人公・折木奉太郎に扮する山崎賢人は、モノローグ、独白の難しさに苦戦しているように見える。ヒロイン・千反田えるを演じる広瀬アリスはやや活発な印象で、大天使チタンダエルとも称される独特のキャラクター性、おしとやかさと知的好奇心の発露、神秘性といった部分は感じられない。福部里志役の岡山天音は声だけ聞いていればなかなかの演じぶりな一方、どアップになるとあまりのおっさんぶりに驚いてしまう。伊原摩耶花役の小島藤子は目立った印象はなかった。むしろ印象に残ったのは、関谷純役の本郷奏多だ。

しかしながら、アニメーションの可愛らしさや愛嬌を再現することにはできなかったかもしれないが、その一方で手堅く無難な出来栄えであったと評価することは出来る。少なくとも小説版の劇場映画化としては及第点だ。元々が派手な作品ではないし、謎解きの要素も、いかにもミステリ小説的な快刀乱麻を断つがごとき、というものでもない。現実的で地味な謎解きだ。その意味で、ややミスキャストな色彩はありつつも無難な仕上がりだったとは言えよう。

第2の方法とは、意外に思われるかもしれないが、バリアフリー音声ガイドの活用である。DVD版には、視覚障害者のために情景や人物の動作を分かりやすく、的確な描写がちょうど良い塩梅で吹き込まれている。歌舞伎の音声ガイドとは違って、解説ではなく、あくまで描写の粋をはみ出すことはない。バリアフリー音声ガイドをONにするだけで、ト書きが加わったラジオドラマに早変わりだ。

バリアフリー音声ガイドの活用のメリットは3つある。1つ目は、凡作の映画やドラマに付きものの、"間の悪さ"が音声ガイドが挿入されることで、気にならないということだ。2つ目は、"ラジオドラマ化"されるため、ながら作業にも適する点だ。3つ目は、あたかも実況動画のようで、意外な面白さが発見されることだ。

第3の方法は、建設的な思考に基づき、いかに映画のために原作を再構成したかを、作り手の側に立って考えることだ。どうも振るわない内容だと感じるのならば、どういう演出やセリフ回し、キャストにすればよかったか、想像をめぐらせてみよう。あるいはどのシーンを削り、加え、順番を入れ替えるかを考えて見るのも良い。頭の中でシーンの足し算・引き算・掛け算・割り算をしてみよう。クリエイター側の苦心を追体験できる。もちろん、演技の面の論評は、私が身をもって知ったように、まさしく、言うは安く、演じるは難しだ。こうした点に思いを馳せてみると、クリエイターたちに尊敬の念が沸き起こるし、その結果、作品をより丁寧に大切に味わうこともできるようになる。

この意味で、参考になるのは「ママレード・ボーイ」の実写版だ。主人公・小石川光希役の桜井日奈子、秋月茗子役の優希美青は、ビジュアル的には逆の方が良かったかもしれない。松浦遊役の吉沢亮、須王銀太役の佐藤大樹は手堅い芝居だった。小石川仁役は筒井道隆、松浦(旧姓・小石川)留美役は 檀れい、松浦要士役は谷原章介、小石川(旧姓・松浦)千弥子役は中山美穂と、両親'sは実に豪華キャストだ。過去の真実を語る最終盤のシーンは、原作8巻最終回のように、再現VTR風に演じさせても面白かったかも知らない。

大筋では、原作の展開をうまく入れ替えて構成されており、かなり良い出来栄えだったと思われる。ただし、蛍やすずを登場させなかったのは横道にそれないために妥当だった一方、銀太と亜梨実の共同戦線を見れなかったのは残念だった。全般に怒涛の展開を演出するために比較的テンポが早い部分がある一方、心情描写は端折りすぎたかもしれない。カメラワークは、引き、遠景からの演出を多用しすぎていたように感じる。

「ママレード・ボーイ」は映画よりも、ドラマ化したほうが良かったように思える。國府田マリ子の歌う挿入歌「MOMENT」が流れるなか、次回どうなるんだ?と思わせて次回に続くのは、アニメ版の良い部分だったからである。こうして、キャスティングから演出、シーンの構成や演出、台詞回しを、さてどうすればよかったか?と、思考実験をしてみるのは、案外面白いものだ。

第4の方法は、どれだけ面白がれるかを追求してみることだ。エンターテインメントは楽しんだ者勝ちである。しかめっ面をして評論家気取りの論評やあら捜しをするよりも、愉快に面白く見たほうが良い。ましてや、お金と時間を投じるのならば、なおさらだ。

だから、たとえばまずい演出、冴えない演技、納得できない設定上の不都合、今ひとつ不自然な展開…それらをすべて、一旦は"味がある"と評してみてはどうか。これは、古代ギリシャ神話研究家の藤村シシン氏のツイートに倣ったものだ。具体的な使用例としては「スター・ウォーズ エピソード7」が参考になろう。「一度もライトセーバーを握ったことがない女子にライトセーバーの剣技で競り負けるカイロレン、やはり味がある」「フォースをひとかけらも学んでいないはずの女子にフォース勝負で競り負けるカイロレン、やはり味がある。」といった具合だ。

カイロ・レンは、記憶にある限り劇中で2度も計器類に八つ当たりをかますなど、いかにも小物じみていて、敵役としてはあまりにも物足りない。たとえ、私にとっては馴染み深い津田健次郎が吹き替えをしていても、だ。




さあ、どうだろう。宝塚の「ブスの25か条」のように、意識して発想を変えてみると、逆説的に良い考えに到達できる場合もあるのではないか。揚げ足取りをするより、美点凝視をするほうが生産的だ。
この意味で、実写版「ニセコイ」は一つの事例だ。「ニセコイ」はジャンプ史上最長のラブコメ(全25巻)の実績を持つ。しかし、その素材の良さを活かしきれず、展開の引き伸ばしや安易な新登場人物などで、長編のラブコメにありがちな悪い要素に蝕まれていった。その結果、やや不本意な形で物語を終えざるを得なかった(詳しい分析はまた別の機会に執筆したい)。

実写版がDVD化されたので、錦糸町のTSUTAYAに寄ると、20~30本入荷されていたにもかかわらず、貸出済みだった。これほどまでに人気があると思っていなかったので、もしかしたら下馬評と裏腹に再評価されるべき作品なのではないかと考えた。それと同時に、小野寺小咲役の役者がずいぶんと可愛らしく、これは小野寺そのものではないかとさえ感じられた。こうして、良い面に目が向いたのだ。

はたして、第1の方法(虚心坦懐に向き合う)と第2の方法(音声バリアフリーガイド活用)を適用して見てみると、実際のところ面白かった。主人公・一条楽役の中島健人(Sexy Zone)はオーバーリアクションの演技が存外達者で、コメディの部分を十二分に表現していた。ヒロイン・桐崎千棘役の中条あやみは、妻の言葉を借りれば「口がでかすぎる」「制服が似合わない」といった様相で、私自身もポマードを3回唱えたくなったが、実際のところ私服や赤は似合うし、さすがは売出し中のモデルだけあって、スタイルは良い。二人共、目ん玉ひんむいた変顔の演技が素晴らしく、体当たりの演技に好感が持てる。

もうひとりのヒロイン小野寺小咲役の池間夏海は、まさに正統派の美少女といった具合で、小野寺のイメージに関してもビジュアル面では満点だ。これを見るだけでも価値がある。声はアニメ版の花澤香菜(EDにしてキャラソンの「リカバー・デコレーション」は素晴らしい)ばりの美声とはいかないし、台詞回しも若干拙い。だが、それは伸びしろだ。NHK BSプレミアムで2019年9月11日の水曜22時スタートのドラマ「ひなたの佐和ちゃん、波に乗る!」で主演が決まっているようで、今後に期待したい。
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橘万里花扮する島崎遥香も意外に悪くない。ヒロインとしての役割は大きく薄まり、抑制的な役割にとどまった点は、構成上致し方ないだろう。クロード役のDAIGOははまり役で、鶫誠士郎役の青野楓は、ヒロインとしての役割は与えられなかったが、クロードともども様々な扮装で楽しませる。舞子集を演じる岸優太は、本編の賑やかしとして大いに活躍した。特に、学園祭のミュージカル風「ロミオとジュリエット」のシーンは素晴らしかった。
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何より注目に値するのは、指定暴力団「集英組」のヤクザの面々とマフィア「ビーハイブ」のギャングたち数十人だ。漫画の小さなコマと違って、テレビの画面に強面のおっさんたちが所狭しと居並び、愉快な行動と大騒ぎを起こす様は、実に豪快かつ痛快だ。この点は良い誤算だった。

好ましい誤算といえば、もう一つある。それは本編序盤のエピソードを中心に構成されているため、「ニセコイ」本編の悪い点があまり現れていない点だ。登場人物の追加による安易な引き伸ばしはない。「キムチでもいい?」などの絶望的な聞き間違いや難聴もない。実質両思いの相手と二人きりで夜の浜辺でうっかり寝てしまうこともない。健忘症レベルの記憶力の無さ、あまりに恐ろしい察しの悪さなどもない。教室で告白同然の事態のなか、野球のボールが窓ガラスを突き破って妨害されることもないのだ。
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中学時代からほぼ両思いで、しかも作者の設定上の手掛かりに運命づけられている楽と小野寺は、自然な展開で放って置くと勝手にくっついてしまう。それでは、ラブコメは中途で図らずも完結してしまう。したがって、「ニセコイ」という当初のコンセプトを堅持するためには、作者の「見えざる手」「見える手」双方によって、二人の恋の成就を無理矢理にでも妨害せざるを得ない構造になっている。これは悲しいことに、物語上の構造的欠陥だ。

話がそれたが、私が何より強調したいのは、美点凝視から思わぬポジティブな誤算につながることもあるということ、小野寺はとにかく可愛いということだ。
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第5の方法は、これは最終手段だが、筋トレをしながら見ることだ。つまらなかったという感覚は時間を無駄にしたという感覚に通じている。それならば、時間を無駄にしない取り組みをすればよいのだ。立ったまま出来るヒンズー・スクワットやダンベル・カール、ダンベル・サイド・レイズなどがおすすめだ。こうして、筋肉を鍛えれば、前向きになれるし、あなたはその映画を見ている時間を活かしたことになる。