馬車郎の私邸

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まどかとほむらの関係に見る「善意と自己犠牲の相互作用」-魔法少女まどか☆マギカ10・11・12話感想

10話「もう誰にも頼らない」11話「最後に残った道しるべ」12話(最終回)「わたしの、最高の友達」が一挙放送されました。遊戯王5D'sと同じく、最終話とその前の話が連続放送というのは、盛り上がりや勢いが継続してよかった。なんと関西では深夜3時放送にも関わらず、視聴率2.3%、占拠率22.6%だったようだ。
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3話分を画像を交えながら、雑感を書いていこうと思います。あ、もちろんネタバレですので、見てない人はブラウザバックお願いしますね。

まず、10話「もう誰にも頼らない」についての感想。この話はとてもお気に入りだけど、なるべく手短に。この第10話があることで、「魔法少女まどか☆マギカ」というわずか12話の作品に奥行きと深みが加わったと思う。この作品の展開を見てると、ああすればよかった、こうすればよかったと思うものだが、実際暁美ほむらは何度も試していたのだ!ほむらがまどかを絶望の運命から救うために時を駆け、独り戦い続けていた事が分かり、胸を打たれた人は多かったのではないか。実はOPはほむらのためにあるような歌詞だったことも大きい。交わした約束のために、善意と自己犠牲の限りを尽くしてほむらの戦いはなんども繰り返されていた。

まどかの頼みとはいえ、ほむらはまどかを一度はその手にかけたり、あるいは魔法少女の真実を知ったことによる魔法少女同士の同士討ちなど、9話までの展開にさらに上積みする非常にハードなシナリオだった。恐るべきワルプルギスの夜を、仮に倒すことができても、最強の魔法少女まどかこそが最凶の魔女と成り果てるのでは、あまりに救いがない。だが、それでも繰り返し戦い続けるほむらは、切なくも気高く美しいと思える。その一方で、当初は気弱で眼鏡をかけていたり、ゴルフクラブやお手製爆弾で頑張ったり、時間を止める能力を使ってヤクザの事務所や米軍基地から銃火器を調達するほむらが、とても可愛かったりもする。ほむらを主役にしたMADを色々作ったのは、この10話の影響が大きい。もちろん、放送延期というのもあったが。

11話「最後に残った道しるべ」
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11話の冒頭で、まどかが魔法少女になった場合、なぜ強大な魔力を有するのかが明らかに。ほむらがまどかを救うために異なる時間軸を繰り返し続けてきたことが、まどかに因果の螺旋を重ねあわせてしまったというのだ。ほむらがやり直せばやり直すほど、まどかの魔力は強大になる。まどかは魔法少女=未来の魔女として、仮にワルプルギスの夜は倒せても、その後、余計手の付けられない存在となっていくのだ。なんと皮肉なことか!悲しいことに、ほむらの意図せざる行為の結果とはこのようなものであった。いわば、どれだけ頑張っても、その頑張りに応じてさらにハードルは上がってしまうのだ。一連のまどかの魔女化が、ほむらの善意と自己犠牲の必然の結果だとしたら、あまりにも悲しい。

さやかの葬儀の後、悪びれずまどかの前に現れるキュゥべえ。さやかも杏子もあなたのせいで死んだようなものと、まどかは責めるが、キュゥべえは言い放つ。
「たとえば家畜に対して引け目を感じたりするのかい?彼らがどういうプロセスで君たちの食卓に並ぶのか。」
「その反応は理不尽だ。」
「彼らは人間の糧になることを前提に、生存競争から保護され、淘汰されることなく繁殖している。
君たちは理想的な共栄関係にあるじゃないか。」

キュゥべえ達宇宙生命体と魔法少女の関係は、人間と家畜の関係と同じだと言い切ったのである。予想はしていても、やはり厳しい指摘だ。たしかに正しい。だが、論理的には正しくても、その比喩、そのアナロジーを受け入れるのは感情が拒絶する。まどかの絶望はいかばかりか。ファイナルファンタジー・タクティクスの「家畜に神はいないッ!!」という台詞を思い出した。

それでもキュゥべえは人間を知的生命体として遇しているのだと言い、インキュベーターと人類の歴史を見せる。洋の東西と時代を問わず、魔法少女はいたと言う。クレオパトラ、卑弥呼、ジャンヌ・ダルク…皆、望みを叶え、その対価に絶望し、魔女と化していったのだ、と。裏切りだと糾弾するまどかに答えるキュゥべえは、こう言う。

「どんな希望もそれが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ。そんな当たり前の結末を裏切りというなら、そもそも祈るべきじゃなかった」

それを強弁するのであれば、契約の前に言えよ!契約締結に際してのアカウンタビリティという問題を、よもやこのアニメは提起しているのであろうか?
「貴方達が地球に来なかったら?」とまどかが聞くと、「(君たちはまだ)裸で洞穴に住んでたんじゃないかな?」とキュゥべえはしれっと返す。感情がない分、憎たらしい事この上ない。
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ほむホームを訪ね、まどかはほむらに尋ねる。(10話のことを考えると)ほむらは当初強がってはいたものの、とうとうカミングアウト!何度も何度もあなたは死ぬところを見てきた、そして何度も何度もやり直してきたのだとまどかに告げるほむら。もちろん、理解されるはずはなかった。まどかは言葉もなく、ただ戸惑い、ほむらに抱きしめられるだけ。この時間軸では、まどかとほむらは出会ってまだ1ヶ月でしかない。ほむらの膨大な努力に裏打ちされた善意と自己犠牲は、まどかにもはや簡単に受け入れられるものではなくなっていたのだ。
「繰り返せば繰り返すほど、私とあなたの時間はずれていく。言葉も気持ちも通じなくなっていく。」

だが、それでも。もはやほむらに選択肢は1つしか無いのだ。泣きながら、言葉を一つ一つ紡いでいくほむら。
「貴方を救う。それが私の最初の気持ち。今となっては、たったひとつだけ最後に残った道しるべ。」
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悲壮な決意をまどかに告げても、まどかはただ呆然自失のまま。
「わからなくてもいい。何も伝わらなくてもいい。それでもお願いだから、私に貴方を守らせて。」
善意と自己犠牲というのは、どこまでいっても主観的なものである。ほむらがどれだけ頑張っているかは、視聴者は痛いほど分かっていても、この時間軸のまどかの理解の及ぶところではない。結局まどかは、ほむらに対しては何一つ言葉を返せはしなかった。
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結局、独りワルプルギスの夜との戦いに赴くほむら。公式サイトの説明によれば、ワルプルギスの夜は通常の人間には大災害として知覚されるそうだ。劇中では、竜巻の原因となる巨大積乱雲、スーパーセルであると説明されていた。体育館らしきとところに避難する鹿目まどか一家。おそらくこのあたりが放送自粛の要因なのではと推察される。そもそも10話は、東日本大震災の3月11日の午前3時頃に放映されていた。11、12話の延期も致し方なかっただろう。
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先のほむらの告白を聞いた後のまどかの意思や行動は、特に言及されないまま、ほむらの孤独な戦いは始まる。まさに激闘!という描写で、絵コンテ、演出ともに素晴らしいものでした。無数のロケットランチャーを地面に突き立て、時間停止と組み合わせて、乱れうちに撃ちまくる戦い方は、マミさんを思い出す。そういえば最初にほむらが出会った魔法少女はマミさんとまどかの2人だった。ほむらが背負っているのは、まどかの存在だけではない。それにしても、武器調達しまくりだろwヤクザの拠点や米軍基地からたくさんかっぱらってきたわけだが、その裏でヤクザが指を詰めさせられたり、武器庫の管理者が軍法会議にかけられたりしてるんだろうな。まどかや他の魔法少女のみならず、こういう人達の犠牲をもほむらは背負っているのかf^^;
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次にほむらが持ち出したのは、タンクローリー!!!そもそもほむらの能力は、ディオのザ・ワールドと同じく時間停止。「ロードローラーだッ!!!」をリスペクトしているのかwなんども時間をループする中で、ほむらはきっと「ジョジョの奇妙な冒険」を全巻読んだに違いない。(笑)同じ能力を持ったスタンド使いとしてディオ様の戦い方を学んだのであろうf^^;

タンクローリーを丸ごとぶつけて爆発させるなんて、Vガンダムを思い出すなぁ。さらに追撃を続けるほむらは、軍艦やら地雷原までも使用。事前準備半端ねぇ。本当に頑張りすぎだ。しかしながら、ほむらの奮戦もむなしく、ついに魔力も尽き、致命的な一撃の前に倒れる。再び時を巻き戻してやり直そうか逡巡しながら、自身がやってきたことに絶望する。このシーンの音楽がとても重厚で、実に胸にくる旋律だった。
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12話(最終回)「わたしの、最高の友達」
もはや戦う力を失ったほむらの前に、まどかとキュゥべえが現れる。ワルプルギスの夜を倒すために、魔法少女になったまどかは、いずれ最悪の魔女と化し、この地球を滅ぼすことになってしまう。したがって、どんな願いで魔法少女になるのかが、鍵だ。一体、まどかの願いとは……!?

「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった君なら、どんな途方も無い望みも叶えられるだろうね。さあ、鹿目まどか、その生命を対価に何を望む?」
「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい!すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で!」
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なるほど、これなら!
タイトルの表示後、出てきたのはマミさんと杏子。これはまどかの願いによって改変された別の世界。マミさんや杏子は魔女との戦いで死んだから、魔女が生まれない世界では死なないという理屈なのだろう。

まどかに対し、マミさんが言うには、「未来と過去のすべての時間で永遠に戦い続けることになる。あなたはあなたという個体であることを保てなくなる。未来永劫魔女を滅ぼす概念としてこの宇宙に固定されてしまうわ。」ということである。先のまどかの願いは、抽象概念、あるいは神と言い換えてもいい存在に成ることを意味していたのだろうか。「あなたは希望を叶えるのではなく、希望そのものになる」とのマミさんの台詞は、言い得て妙だ。

「貴方達の祈りを絶望で終わらせない。貴方達はもう呪わない、祟らない。すべての因果を私が受け止める。」歴史上、世界中の魔法少女が魔女と化す瞬間にまどかは現れ、ソウルジェムを浄化する。この時の魔女に成るはずだった魔法少女が消えていくことから、まどかが"成仏"させているように思える。ワルプルギスの夜―元ネタを考えると、魔女=魔法少女達の絶望の集合体か?―でさえ、まどかの力によって解体、浄化された。

だがその結果を、時間を操る能力を持っているゆえか、ほむらは目撃してしまう。まどかの願いは宇宙レベルの再編を伴うものであり、彗星の如き規模のソウルジェムに、ひとつの宇宙を終わらせるほどの絶望が宿り、穢れが溜まっていく。しかし、すべての魔女化を防ぐ概念としてのまどかは、自分自身に対して言う。「私の願いはすべての魔女を消し去ること。本当に私の願いが叶ったなら、私だって絶望する必要はない!」

一つ上の領域にシフトし、ただの概念に成り果てたまどかは、誰も認識できず、干渉もできない。死ぬよりよりひどいと嗚咽するほむらに、まどかが語りかける。「今の私には過去も未来のすべてが見える。かつてあったかもしれない宇宙も、いつかあるかもしれない宇宙も。」これまでのほむらの努力をすべて知ったまどかは、タイトル通り「私の、最高の友達」と語り、リボンを託してほむらの前から消え行く。「いつでも、どこにでもいる」というのは、その偏在性は「全にして一、一にして全なる者」というわけで、あたかも神になったかのような言い回しだ。また、「いつかまた、もう一度ほむらちゃんとも会えるから。それまでは、ほんのちょっとお別れだね」という最後の言葉も、まどかが魔法少女の最期を看取る死神として、ほむらといつか相まみえるということを示唆しているようだ。

恭介の演奏をまどかと聞きながら、さやかは1つの納得を得ながら消えていった。さやかの魔女化とその死をなかったことにすると、まどかの願いそのものが生まれないというわけか。
そして、魔女を倒した後の場面で、杏子は「さやかはどうした!?」とマミに問う。
「逝ってしまったわ。円環の理に導かれて。さっきの一撃にすべての力を使ってしまったのね。」とマミさんが答える。それにしても、円環の理とは上手いことを言う。円環つまり円=まどかというわけか。まどかという名前自体が伏線だったとは。

「希望を求めた因果が、呪いを生み出す前にああやって消え去るしか無いのよ」
つまり、魔女化はなくなったが、魔法少女は願いを叶える代償に力を使い果たすと必然の死を迎えるシステムになったようだ。ほむらは形見のリボンを握り締めながら、まどかの名前を呼ぶ。だが、杏子とマミは、まどかが誰かわからないのである。まどかの弟と母がわずかに、まどかという名前に反応を見せるのみ。ほむら以外はもはやだれもまどかのことを覚えていない、いや、そもそも知らないのだ。あまりに切ない。

ほむらとキュゥべえ、人類とインキュベーターとの関わりにも大きな変化が生じていた。ほむらはこれまでのことをキュゥべえに語るが、キュゥべえは仮説としてはわかると、半信半疑だ。魔法少女が魔女と化すときのエネルギーを集めていたインキュベーターのことをほむらが話すと、キュゥべえは「そんな効率的なやり方があったなら、僕達インキュベーターの、君たちへの接触も戦略も変わっただろうね。」と答える。こいつはよくも悪くも相変わらずだ。(※インキュベーターは魔女化によるエネルギー回収ではなく、魔獣を倒した際に出てくるコアから感情エネルギーを吸収し、宇宙のエントロピー減少に対応する生物に変化したということらしい)
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浄化しきれなかったソウルジェムは消え、魔法少女が魔女になることはなくなった。だが、人の世に呪いは消え失せるものではない。そうした歪みは、"魔獣"として現出する。魔法少女はその願いと引換に、死ぬまで魔獣と戦い続ける存在となった。「頑張って―」まどかの声が聞こえる。ラストシーンは、まどかから受け継いだ弓矢と、禍々しくもきらびやかな黒い翼とともに、魔獣たちの軍団との戦いに赴くほむら。(荒野は滅びつつある世界、謎の翼とまどかの囁く声はほむらも限界に来ていることを暗喩している?)
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「忘れるな。いつでもどこでも誰かがあなたのために戦っている事を。あなたが彼女を覚えている限り、あなたは一人じゃない。」と英文で画面に表記される。
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まどかを唯一覚えている存在となったほむらの戦いはまだまだ続く。ほむらは、またいつかまどかに会えるだろう。だが、それは魔法少女としての力を使い切った時なのだ。

哀しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど。
だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なのだ。
それを、憶えてる……
決して、忘れたりしない。
だから私は……戦い続ける。
「魔法少女まどか☆マギカ」(完)

Aパートでは壮大な展開、Bパートでは哀愁の余韻漂う、美しい終わり方でした。完全なハッピーエンドでもなく、完全なバッドエンドでもない。バランスの取れたいい落とし所で、手堅く作品を終わらせることが出来たようです。それにしても、主人公は明らかにほむらになってしまっているf^^;

一応タイトルで、ほむらとまどかの関係は「主観的善意と自己犠牲の相互作用」だと書いた。10話で構築される最初期のほむらとまどかの関係は、opの歌詞「交わした約束」に至った。まどかがほむらに、ほむらちゃんにしか出来ないことをやってくれ、そして魔女となり果てる自分を殺せと訴えるシーンが、善意と自己犠牲という点ではとりわけ大きな端緒だった。ほむらは絶望の運命からまどかを救うために、何度でも時間を巻き戻す。まどかの善意と自己犠牲が、ほむらの善意と自己犠牲を喚起し増幅するのだ。

しかし、ほむらの善意と自己犠牲は報われない。「繰り返せば繰り返すほど、私とあなたの時間はずれていく。言葉も気持ちも通じなくなっていく。」という言葉通り、何度もやり直すたびに、ほむらの善意と自己犠牲は理解されなくなっていく。そもそも善意と自己犠牲は、本来的には主観的なものであり、表層的に他者に理解されることはあっても、真に理解されることはないのだろう。結局アニメ本編の時間軸では、最後の最後にいたるまで、ほむらの善意と自己犠牲はまどかに理解されることはなかった。それとて、まどかが普遍的な概念と化したからであり、本当の意味で報われたのかも検討の余地はあろう。

では、11話最後から12話冒頭にかけてのまどかの善意と自己犠牲はどうか。「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった」からこそ、まどかはどんな途方も無い望みも叶えられるようになった。ほむらがくり返しくり返し戦ってきたから、最終的なまどかの望みが叶った。少なくともこの意味では、ほむらの努力は報われたと言ってよい。これこそまさに、まどかとほむらの善意と自己犠牲の相互作用の結実である。

「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい!すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で!」というまどかの願いは、100%すべてを解決する理想の回答ではないのだろう。だが、妥当な判断だ。確かに魔女と化すことはなくなったが、まどかとほむらがもう1度だけ会えるのは、(おそらくは)ほむらが魔法少女として死を迎える時だ。互いに最高の結末ではなかろうが、互いに次善の成果を得ることが出来たとは言えそうだ。

もちろん、まどかの主観的善意と自己犠牲が、ほむらの主観的善意と自己犠牲と、がっちりシンクロして重なりあったわけではない。この点が、視聴後の後味としてはすっきりしたものにはなりにくい要因だろう。だが、清濁併せ呑んだ結末としては、十分良いものだと思える。まどかとほむらの主観的善意と自己犠牲の相互作用が織り成す物語。それが「魔法少女まどか☆マギカ」という作品だった。

……って、取り急ぎ書いたので、上手くまとまってないけど、ここまで長文読んでくれてありがとう。
そしてこの良作を作ってくださった制作陣に感謝。

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『まどかとほむらの関係に見る「善意と自己犠牲の相互作用」-魔法少女まどか☆マギカ10・11・12話感想』<