馬車郎の私邸

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ほむらとマミさんの関係に見る「いかに善く生きるか」というテーマ-「魔法少女まどか☆マギカ」第1-3、10話感想

いよいよ今日の27時、いや明日の3時から延期になっていた最終話が放送される。読売新聞にもデカデカと大きな広告を出しており、費用対効果があるかわからないが、何にせよ放送を心待ちにしていたファンの期待は高まるばかりだろう。uproda291107
最終回を見る前に、この機に3話ずつこのアニメを振り返って思いついたことを書き留めておこうと思う。さて、最初の3話はまだとても平和な頃(笑)これがとんでもない展開になっていくとは、脚本の虚淵玄を知らない大多数の視聴者に取っては、誰も想像していなかっただろう。(私も含めて)

3話までのことについては、話題の中心にすべきは、なんといっても巴マミ以外に誰がいるだろうか?(慣例通り、以降マミ"さん"と呼ぶ)主人公のまどかも友人のさやかもまだ変身しておらず、マミさんは魔法少女の先輩として2人を導く…はずだった。しかし、3話にて非業の死を遂げてしまう。この展開が、まどか☆マギカをネット上で一躍有名にした契機であった。その死に様は首を喰いちぎられるという壮絶なものであり、演出も見るからに残酷というよりも逆に違和感や不気味さのようなものが際立つものだったように思える。というのも、マミさんを殺した敵の魔女はとても愛くるしい姿で、その中身も意外と愛嬌のある表情を見せることが多かったので、ある意味でいびつさを感じたからである。これが見るからに凶悪で醜悪な怪物だったら話は単純だった。だが、その魔女も元はといえば魔法少女だったのだと思うと、なんともやるせないのである。

また、マミさんは、作中の人物にも、視聴者にも愛された人物である。ニコニコ大百科の当該記事によれば、以下のとおりだ。
pixivでは全キャラ中、タグ数がダントツ1位をキープする程多数作られており、if展開も多数作られるなど(主に「マミさんを救い隊」タグで検索するのがお薦め)多くのファンから愛されている。ニコニコ動画のタグ数も不動の1位。
故人がいかに愛される人物であったか、窺い知れるというものだ。かくいう私も「巴マミさんを救うべく、20の勝勢BGMをかけてみた」という動画を作った。しかもこの動画は今では50000再生に迫るまでになっており、マミさんの人気を示す一例であろう。私の思考実験に付き合ってくれた視聴者の方々には、この場を借りてお礼申し上げたい。

孤独に耐えながらも頑張って戦い続けてきたその姿勢、穏やかで気品のある物腰、スタイリッシュなガンアクション。どれも魅力的なものだった。マミさんの戦闘シーンに流れる「マミさんのテーマ」は、サントラ未発売にも関わらず、Fullが作られ、「歌ってみた」も続出するなど多大な人気を博した。アクションシーンと合わせて曲を堪能してみよう。
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作品の話にもどる。10話を見た後だと、暁美ほむらのマミさんに対する態度はきわめて興味深い。まどかを救うべく無限のループを繰り返すほむらは、マミさんに対してはどう振舞っているか?この点については、初見の時と比べて、10話まで見た後の場合は、全く見え方が変わってくる。ほむらはマミさんに対し、再三にわたり冷静に警告を発している。初見と全く違って見えるシーンで注目すべきは、この会話のやりとりだろう。
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「自分より強い子は邪魔者ってわけ?いじめられっ子の発想ね」
「あなたとは戦いたくはないのだけど。」
「なら、二度と会わないよう努力することね。話し合いで済むのは今夜で最後だろうから。」
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この後の空の仰ぐシーンは、ほむらの無念さが感じられる。「あなたとは戦いたくはない。」と言っているのは、さやかへの対応(殺ろうとしていた)とは大違いだ。ほむらはマミさんに対しては、まどかほどではないにしても、ループの中でもいつも救いたいと思っていたことが推察される。

また、そのマミさんに「自分より強い子は邪魔者ってわけ?いじめられっ子の発想ね」と言われたのは、ほむらにとっては相当ショックだったのではないか?もちろん、このセリフについてはマミさんは事情を知る由もないから仕方ないのだろう。だが、「いじめられっ子の発想ね」という言葉に、(10話の描写によれば)本来気弱だったほむらは傷ついただろう。SE付きで、ほむらの顔にズームアップしていく画面の演出が、そのことを示唆している。
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結局まどかとさやかを連れて戦いに赴くマミさんをほむらは止められなかった。「手を引いて」くれと言うが、マミさんの実力行使により、緊縛されてしまう。1回目見た時とは違い2回目に見た場合、ほむらがマミさんのリボンの魔法で緊縛された状況を第10話で見ている。魔法少女の魔女化という真実を知ったマミさんが、杏子をあっという間に射殺し、緊縛したほむらに「魔法少女が魔女になるって言うのなら、皆死ぬしか無いじゃない!」と言い放ち銃口を向けるのである。この経験自体もほむらにとっては相当なトラウマだっただろう。

また、このシーンにおけるマミさんの発言は直感的には、「論理的には正しいかもしれないが、倫理的には正しくない」と思える。(このマミさんの決断についてはマイケル・サンデル教授に意見を拝聴したい)たしかに、この気が狂れたような発言は、皮肉なことに、キュゥべえの狙いを外すためにはもしかしたらいい方法かもしれない。奴の狙いは魔法少女が魔女と化すときのエネルギーなのだから、魔法少女は集団自決すれば、"局所的"にはキュゥべえの利益を破壊することは可能だ。もちろん、根本的な解決にはならないが。

しかし、集団自決や同士討ちは、感情的には到底受け入れられるものではない。まどかがやむなくマミさんを射殺するも泣き崩れるのは当然だ。仲間に殺されかかったほむらもきつい。ほむらがくり返しループする中で、まどかだけではなく、マミさんも救えることなら救おうとし、さやかについてはほぼ完全に諦めている(これはさやかとの会話のやりとりから示唆される)ことは、ほむらにとって初めて出来た"友達”の範囲の境界線を示しているのかもしれない。

話をまた3話に戻すと、魔女シャルロッテはいわゆる無理ゲーであった。マミさんがいかにベテランであろうとも、「答えを知らなきゃ倒せない」タイプの敵である。そのことは『魔法少女まどか☆マギカ』3話のボスってこいつだったのかよ・・・の記事で指摘されている。3話ではマミさんの死後、ほむらが倒した。ほむらは、これまでに経験したループのどこかで、シャルロッテを倒す方法を知ったはずである。劇中で直接描かれてはいないが、もしそのような戦いがあったならば、マミさんやまどかとの共闘で行われただろうし、あるいはその時には犠牲もあったかもしれない。こうした推察を考慮に入れると、ほむらがマミさんに「手を引いて」と言ったのは、とても"重い"。

マミさんは魔法少女の真実を知らなかった。また、知ってしまったときには、上記のとおり恐ろしい行動も起こすこともあったようだ。どうにもならない枠組みの中にいた人物である。この点は、最強の魔法少女(=未来の魔女)となりうるまどかや、何度でも時を巻き戻して頑張るほむらとは違う。マミさんは、何をしようとも全体の問題解決にはならない立ち位置にいるキャラクターなのだ。視聴者たる我々とは違って、当事者たるマミさんにメタな目はついてない。

だからといって、マミさんの劇中での行動は無意味ではなかろう。孤独に耐え魔女との戦いに奮闘し、まどかやさやかを教え諭すことは、メタ視点から見れば、最終的な問題解決にはならない。だが、現実の人間は、この世界・宇宙を俯瞰するメタな視点を持ってはいない。我々も、マミさんと同じである。枠組みやら運命やらは決まっているのかもしれないが、しかしその中で精一杯人間は生きるのである。

たしかに、部分最適の和が全体最適になるとは限らないため、合成の誤謬に陥ることもあるかもしれない。だが、個人が自身のおかれた状況の中で精一杯のことをするのは悪いことではない。たとえば、今や東京電力は何をしても叩かれ非難される状況にあるが、だからといって東京電力の社員が全力を尽くさねば、それに代わる人も組織もないのだ。状況の中で人は最善をつくすしかないのである。

そして、「いかに善く生きるか」は哲学の根本的な命題だ。作中におけるマミさんの美徳や頑張りは、善く生きたことの表出である。だからこそ、ほむらは救うに足る人物として(最も控えめに見積もっても、さやかよりは)出来ることならマミさんを救おうとしていたのだし、我々視聴者も巴マミというキャラクターを愛したのである。

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