馬車郎の私邸

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「時間と空間を圧縮する"漫画"、耳と目で時間の経過を楽しむ"アニメ"」―魔法少女まどか☆マギカ第3巻―

バベルの塔の如き所業なのか、秋葉原では何だか愉快なことになっているようです(笑)。私は普通に川口のアニメイトで購入しました。よくもまあ3巻にまとめたものだなぁと感心します。脚本から派生させて描いたそうですが、ずいぶん詰め込んでいる割には、実際のところ軽快に要約出来ているので、原作既読者が読んでもそんなに違和感はないです。絵柄もとても可愛らしい。(特にマミさん)

とはいえ、原作のアニメをすでに観ている自分としては、もしこのコミックス版から入った人がいるなら、アニメ版をぜひ見て欲しいと思っています。あくまでコミックス版はハンディに要約したものだからです。それはそれで価値があるとは思っていますが、やはりアニメ版を視聴するのが本筋でしょう。近年まれに見る名作でもあり、わずか1クール12話のアニメでは、ここまで素晴らしい作品は見たことがありません。大いに推奨したいところです。

さて、コミックス版の話はここまで。「時間と空間を圧縮する漫画、耳と目で時間の経過を楽しむアニメ」と、タイトルに掲げたので、コミックス版の話はあくまで枕です。漫画とアニメ、それぞれの表現媒体としての特性の話を、軽くしようかなと思います。

漫画版「魔法少女まどか☆マギカ」はなぜ、あれほどまでに濃厚な「魔法少女まどか☆マギカ」アニメ版を、漫画3巻にまとめることが出来たのか。その答えは、本質的に漫画は、コマの中に「時間と空間」を内包できるからです。あれ?何だかほむらの盾みたいですね。つまりは、時間も操作できるし、かっぱらった武器も詰め込み放題ということです。1コマの中には、キャラクターの動きも、感情の揺れ動きも含まれています。もちろん、台詞のフキダシや、説明用の枠にも時間は含ませることが出来ます。たとえば、「3年後―」と書いておけば、3年経ったことになります。

それに対して、アニメは、視聴者に1秒間に24枚の絵を見せることで、擬似的に人物の動きと時間の流れを表現しています。それはもちろん絵であるという了解はあるけれども、現実の人間が物が動く様子を、動画という擬制として見ることが出来ます。時間も経過しています。そして、アニメには、声も音楽もつく。声の有り無しも、BGMの有り無しも、見たときの印象形成に大きな役割を果たしています。眼と耳の両方を使い、作品世界の時間を並行して体感できることがアニメの特徴です。

漫画は時間と空間を圧縮している分、とても早く読めます。1冊10~20分といったところでしょうか。完結した漫画がたとえ長編であっても、その気になれば数時間で読めるわけです。もちろん、雑誌の連載で読む、新しい単行本が出るごとに読むといった、時間配分もあります。漫画を読む時間というのはずいぶん伸縮自在でもあります。

その一方で、アニメというのは、1話観るのにCMを飛ばしても20分以上かかります。漫画1冊とアニメ1話では内容の詰め込み度合いは大きく異なり、1単位分を消費する時間も違うわけです。また、完結した作品ならDVDやビデオなどで一挙に見ることも可能ですが、現在放映中の作品を見る場合、1週間の空きがあります。この点は漫画と同じです。

「時間と空間を圧縮する"漫画"、耳と目で時間の経過を楽しむ"アニメ"」。なんだか当たり前の話ではあります。しかし、このことを、たとえば角川書店がよくやるメディアミックス戦略や、原作大量消費のアニメ放送サイクルといった昨今の潮流に関連付けてみると、、何か見えてくることもいろいろあるのではないでしょうか。

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