馬車郎の私邸

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 「新史太閤記」 司馬遼太郎、新潮文庫

「新史太閤記」上下巻 司馬遼太郎、新潮文庫
オススメ度:☆☆☆☆☆

まずは、「苦々しさ」というものについて話をしよう。

取りたくない行動を取らねばならない、そういうときに感ぜられるのがこの苦々しさというやつである。
渋々という言葉に意味も語呂も似ているかもしれない。

例えば、欲しいものを得たくても得られず、またその手だてがないとき、これは苦々しい事態であるといえよう。

そして、自分が最も憎む相手よりも劣っているということを甘受せねばならないのも、苦々しく思える状況であろう。

さらに、自分に不都合な事実を変えられないということもまた、苦々しい状態だ。

この苦々しさというやつ、誰の心にも現れる。
なぜこんなやつに俺が劣るというのだ....
どうしてこんなことになってしまったのだ....
やりたくなくともあえてこうせざるを得ない....
そういう苦々しい心持になったことは、誰しもあるだろう。

しかし、その苦々しい感情から自由であった人物こそは、天下人秀吉である。
上下巻で秀吉の天下取りにいたるまでを活写した今作は、あらゆる人に読まれるべき名著だ。
というのは、感情の統御に関わる重要な示唆が、秀吉という人物を通して描かれているからである。

秀吉は、いかなる苦境、屈辱的な事態にあっても、鷹揚で快活であった。
苦々しさがないのである。
その軍事的な状況、政治的な状況において我慢を強いられることが多くとも、苦々しい思いで耐えるということはしない、むしろそれを超越した状態に心を置くことが出来る。
調略、策謀でも陽気さ、明るさを持って行えば陰湿さはなくなり、その陽気さに引き込まれてしまう。と、本文で書かれていたが、苦々しさや後ろ暗さというものがこの男にはない―あるいは、それを踏み越えて明るくできるのである。

また、人間関係に熟達していた。
それは、あの織田信長という上司に仕えて気に入られ、大いに手柄を立てたことからも大いにわかることだ。
そのうえ、人を動かすということにも長けていた。
卑賤の身から出世したがゆえに、同僚や他の武将からは決して常に好意的に接してもらえたわけではないが、そうした人物たちを懐柔したり、あるいは臣従させたりということをやってのけたのである。
また敵対する人物をも味方に引き入れる、人たらしの天才でもあった。

秀吉という人物は、ある意味カエサルや漢の高祖劉邦にも似たところがあると思う。
戦争の上手さではカエサルに、人使いの上手さでは劉邦に。
そしてこの3者に共通するのは、その度量と寛容さである。
ことごとく降伏する敵を許したり、惜しみなく領地をくれてやったり、人心を掌握したり、天下を取るだけの度量をこの3人は持っていた。

そうした秀吉の人間的魅力を司馬遼太郎先生はこの2冊で惜しみなく描いている。
古本屋で2冊合わせて200円で買ったが、しかし得るところ大であった。
新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)
新史太閤記 (下巻) (新潮文庫)


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