馬車郎の私邸

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【ブックレビュー】先崎学「将棋指しの腹のうち 」文藝春秋:将棋めしに関心ある方・観る将中級者・3月のライオン読者は必読!

【概要】将棋とメシをめぐる物語。棋士は何を食い、何を語り、将棋に挑むのか――藤井聡太が対局中に豚キムチうどんを注文し、話題となった千駄ヶ谷のみろく庵。しかし、先崎は、このブームを知らなかった。なぜなら、かれは「うつ病」だったから……。

先崎学九段の前作「うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間」は読み応えある闘病手記だった。実兄が精神科医、慶應病院への入院という要素はあったとはいえ、客観的に見てそのような好条件があってさえもうつ病から立ち直る難しさを思い知った。今回紹介する「将棋指しの腹のうち 」では思い出話を糸口に、先崎九段が調子を取り戻しつつあるようだ。

本書ではみろく庵ほそ島や、代々木の店、チャコあやみや焼肉 青山外苑きばいやんせふじもとの7つの店に併せて、今まで書いていない秘蔵のエピソードが収められている。宴席でのことは何があっても「その夜は楽しく飲んだ」とコメントしたり、書くのは大人のマナーなのだが、月日が経った時効エピソード集ということで、容赦される内容の範疇だ。将棋を知らない人でも勝負師たちの意外な一面、観る将の中級者にとってはあの先生のあんな話こんな話、「3月のライオン」読者にとっては監修者の文才を楽しめる一冊となろう。

「みろく庵」は居酒屋と蕎麦屋を兼ねる昭和の香りを残す良き店。19年3月に惜しまれつつ閉店した。そば、定食、丼もの、特に人気は里芋の煮っころがし定食で、唐揚げを3個追加する若手棋士も多かったそうだ。夜では梅雑炊も人気だったとか。佐藤康光会長、鈴木大介理事の両九段とうつ病復帰後に行った時の飲みの模様が描かれていて、雰囲気がなんとも味わい深い。

「ほそ島や」は、将棋会館徒歩3分で今も昔も棋士が最もよく行く店だ。そばは細切りで白っぽい、東京風の王道を行く更科そばで、神吉七段はじめ大阪勢も絶賛のことである。カレーライスと中華そばはコスパ抜群。ほそ島やは老いも若きも奨励会の修行時代に食べた味、いわば原風景の味なのである。先輩が先に出ていく時は後輩の分を払っていくという良き伝統もあったのだそうだ。特に勝浦九段は当人たちにわからないよう勘定をもつ小粋な人物だったようだ。

「代々木の店」は、神に祈った結果、やってきたのは酒の神バッカスだったという事情により、名前が伏せられている。ある強豪棋士がこのときばかりはプロになった喜びで痛飲し前後不覚の非常事態になった様が述べられており、こうした事態への対処が生々しく述べられている。頬を2回ひっぱたいて名前を言えない時は救急車を呼べという実践的な教えが語られている。

ちなみに、この章では最近になって将棋連盟の控室で将棋を指してはならんというアホなお触れがでたとか、先生呼び・さん付け呼びの機微などについても語られている。また、先輩・後輩関係は四段(プロ棋士)になった順ではなく、奨励会に入った順だという点も意外ながらそうした伝統になっているとのことだ。

「チャコあやみや」では、ティッシュ箱ほどの大きさの1kgステーキを切り分けて4人でシェアする際の獰猛な勝負師の男たちの様子が語られる。羽生さんが疲れたと言ったことは先崎九段の記憶では、冗談抜きで1回しかないそうなのだが、「チャコのステーキ美味しかったなあ」の一言で、明るい声色に戻ったなんていう心温まるエピソードも。

研究会についてのエピソードについても触れられている。実は研究会が盛んになったのは、シチズンがデジタル式の秒読み機能付きの時計を開発してからなのだそうだ。十秒将棋の秒読みは当然ながら肉声で読み上げるのだが、十秒将棋では終わってしまうので、九!九!九!と拳を出して声高に叫び続けるなんて様もよくあったそうである。

「焼肉 青山外苑」は、おそらくは1996年?の将棋の日のことが述べられている。東京体育館で巨大な盤駒を30人もの奨励会員が動かすという驚天動地の大イベントが実行された。幸いにもこのイベントは成功裏に終わったが、空前絶後の人力将棋の立役者である奨励会員にねぎらいの言葉も大してなく、しかも奨励会員抜きに打ち上げまでやるという話になり、これではいかんと男気で焼肉屋に連れて行く事になった。

先崎九段はここで佐藤康光九段に声をかけた。二人で割り勘というわけだ。だが、ここで青ざめた。重労働で腹をすかせた若い衆が30人、高級焼肉屋に行くというのだ。「歯車は回りだした」という「賽は投げられた」のような言い回しに加えて、「君は将来将棋連盟の会長になる男なんだ。この程度のコトでセコいこと言ってはいかんよ」と畳み掛ける。なんとこの時の殺し文句は予言になってしまうのだから面白い。

いざ、高級焼肉屋へ。損な役回りをしても大イベントを成功させた誇りがあり、皆遠慮がない。なんと店中のカルビを食べ尽くし、急な大人数の来店で仕方ないにも関わらず、店側は上カルビと特上カルビを、並のカルビと同じ値段で提供すると粋な提案。さらに上物のカルビもなくなってしまい、焼肉屋からカルビがなくなるのは恥(?)と思ったのか、ホルモンやロースを無料で提供してくれたという。

彼だからこそ瞬間的に三十人割り勘という強引な筋を押し出せたし、彼もまた瞬時に受ける度量があったと先崎九段は述懐する。なんともきっぷの良いエピソードだ。

「きばいやんせ」は今では南青山に移転したらしいが、この店は純粋に酒を飲みに行くお店で、鳥刺しやお刺身も絶品とのことだ。もっとも一緒したのは木村一基王位、鈴木大介九段、行方尚史九段で、この順番で酒が強いのだそうだ。ただし、行方九段は酒ガバガバ→潰れる寸前→水ガバガバの無限ループという名人芸ができるということで実態のほどは不明だとか。

優等生・中村太地七段と人格者・千葉幸生七段が記録係に駆り出された時に、さてお開き…という時に「きろく」の焼酎のボトルを見つけてしこたま飲んだ話に加え、きばいやんせ(女流王将戦スポンサーの霧島酒造の直営店でもある)とその隣の店で女流王将を奪取した千葉涼子女流四段、千葉幸生七段、飯島栄治七段との祝勝会がこの章の中心だ。

祝い酒によくあるペース乱れまくりの話の顛末は名文だ。こんな調子である。
「坂を上がれない。そう、四人ともまともに歩けなかったのである。それぞれがお互いを心配する余裕すらないのだった。四人で一歩ずつ、本当に一歩ずつ右に左にふらふらしながら坂を上り、それはまさに遭難した登山隊のようだった。いや、遭難したわけではない。我々の間には見えないザイルがあった。一勝の重みという、闘うものにしか見えないザイルが。」

この文の運び、調子、往年の将棋ファンにはどこか懐かしくないだろうか。そう、藤井猛竜王3連覇の観戦記「一歩竜王」にどことなく風情が似ている(将棋ペンクラブ観戦記部門の部門賞を受賞)。

「▲8六歩。驚くなかれ、この辺境の一歩を駒台に置いた瞬間、後手玉には受けがなくなった。一歩、いつも突き捨てたり打ち捨てたりしてぞんざいに扱っている一歩。しかし藤井には竜王を得るための命の一歩だった。まるで砂漠のオアシスのように、それは、そこにあった。ひっそりとおくゆかしくあった」

局面があまりにも違うが、不思議とリズムが相似形を描いているように聞こえる。

「鰻屋 ふじもと」は、将棋棋士が好んで行くお店として知られている。薄給の若手棋士には高級日常食の鰻は憧れの的であった。先輩棋士にご馳走になるために知恵を凝らした。中原誠、米長邦雄、勝浦修といった著名棋士が気前が良くて鰻好きの代表的な棋士だったようだ。皆で対局後の検討の際に、急所の一手を短くキレよく、さりげなくくすぐることで、こうした棋士たちに「ほう(君もわかっているな)」「それじゃ君、鰻でも食いに行くか」という流れを作るというわけだ。米長邦雄は見え透いたお世辞が意外によく効き、勝浦修はシブく褒めるのがコツだったとか。勝利、おべんちゃら、酒、この3点セットに男は弱い。「プロはプロにしかわからない言語で、プロに褒められるのがとっても嬉しいのである。」というのは正鵠を射る本質と言えよう。

鰻といえば、"ひふみん"こと加藤一二三九段が有名。意外なことに、いざ話してみればおしゃべりなのだが、棋士同士の付き合いは少なく、昔は同輩の前では無口と思われていたとか。ちなみに昼夜同じものを頼むのは、本人曰く、面倒なだけとのこと。頑なに明治のチョコレートを食べるのは家の近所に明治製菓に勤めているとのこと。

このように大筋のエピソードの一部だけでも面白い話が多いのだが、細部にも将棋という"村"の文化や伝統が多数ちりばめられて語られている。読み物として面白いばかりか、もしかすると史料的価値もあるかもしれないくらいだ。羽生世代のベテラン棋士の目から見た勝負師たちの生態が、飲食という観点から浮き彫りになっており、まさしく2つの意味で腹のうちを浮き彫りしていると言えよう。