馬車郎の私邸

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「『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』ないし『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』と思う兄妹たちに送る、ギリシア語における4つの種類の"愛"について」

『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』という挑戦的なタイトルのライトノベルが、この度アニメ化されたのだという話だ。このように小説のタイトルが文章になっているものが、昨今の流行りのようだ。その先駆的端緒はおそらくは、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』に始まると推察される。「『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』はまだ読んだことはないが、その強硬な主張をむき出しにした表題を見て、ふと次の一節を思い出した。

「なぜだ」と人は訊く。「そのわけを知りたい。なぜ、自分の妹を妻にしたのか」と。愚か者よ、勉強せよ。アテナイでは、異父兄妹の結婚は許されているのだ。アレクサンドリアでは純粋な兄妹でもいいのだ。(セネカ『アポコロキュントシス―神君クラウディウスのひょうたん化―』)

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の2巻では、「日本書紀」「オデュッセイア」「エジプトの神話~オシリスとイシス」を取り出し、イザナギとイザナミ、クロノスとレアー、オシリスとイシスらの、兄妹で結婚している神々の話を援用して、京介があやせを説得しようと図る一幕があった。兄と妹のこの種の話は、神話では珍しくはない。

とはいえ、上記の引用の元になった話はこうだ。すなわち、ユニウス・シラヌスはクラウディウス帝の娘オクタヴィアと婚約していたが、自分の妹ユニア・カルウィナとの近親相姦の罪で告発され、自殺に追い込まれたという顛末である。『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』というが、この場合"関係ない"とは、推測するに「No Problem」の意味合いで使われている。しかしながら、愛によって男と女の間の問題が解決することでさえそもそも少ないのだとすれば、ましてや愛によって兄と妹の間の問題が解決するとは私には思えないのだ。

さて、現代の日本人は、"愛"という言葉に、恋愛や性愛を見出すことがほとんどだろうし、私も本稿でここまで愛という言葉を、恋愛を前提に書いてきたつもりだ。しかし、ここで、ギリシア語における愛には4つの種類があったことを想起されたい。Wikipediaから引用すると以下のとおりだ。

「ストルゲー」 στοργή
火、空気、土、水の四元を結びつける愛。従う愛。尊敬を含む愛。親子関係や師弟関係にある愛。
「エロス」έρως
理性的な愛。主に男女関係の愛。自分のために他を求める愛。恋愛 さらには熱愛。
「フィーリア」 φιλία
友愛 。自分を与えることで他人を生かす愛。配慮的な愛。
「アガペー」 αγάπη
もとはあるものを他より優遇する選択的な愛。キリスト教でいう一般的な「愛」。無条件の愛。万人に平等な愛。神が私達に与える愛。見返りを求めない愛。


『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』というタイトルに関して、「関係ないよねっ」ではなく、その前提である「愛さえあれば」の仮定条件の部分に着目してみたい。これら4種類の愛をそれぞれ件のタイトルに当てはめてみると、次のようになる。
『お兄ちゃんだけど愛(「ストルゲー」 στοργή )さえあれば関係ないよねっ』
『お兄ちゃんだけど愛(「エロス」έρως)さえあれば関係ないよねっ』
『お兄ちゃんだけど愛( 「フィーリア」 φιλία)さえあれば関係ないよねっ』
『お兄ちゃんだけど愛(「アガペー」 αγάπη)さえあれば関係ないよねっ』

高坂桐乃を筆頭に、兄に愛を抱く全国の妹諸兄(←諸妹?)には、その自分自身の愛がどのような性質のものなのか、ぜひとも一度自らが抱く愛の定義を胸に手を当てて考えて、上記のフォーマットに落とし込んだ上で、『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』と堂々と主張していただきたい。