馬車郎の私邸

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ビザンツ帝国の最期から、興味を持ったきっかけを思い出す

1453年5月29日にオスマン帝国軍の総攻撃によって首都コンスタンティノープルは陥落。ローマ帝国の系譜に連なるビザンツ帝国(後世からの通称)は滅亡した。ビザンツ帝国は、この時代にはもはや首都とペロポネソス半島の一部しか残ってない中、メフメト2世率いる10万の大軍勢がコンスタンティノープルを包囲した。守備兵はわずか7千ほどで、2ヶ月近くに渡り抵抗を続けるも、奮闘むなしく一つの文明が此処に滅んだのである。オスマン帝国の新兵器「ウルバン砲」や「オスマン艦隊の山越え」の奇策などの逸話にも事欠かない。この陥落の様子を扱った本には、文学の面からは塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)」、学術的な面ではジョナサン・ハリス「ビザンツ帝国の最期」がある。

さて、ローマ帝国が東西に分裂してからも1000年も続いたというのはとても驚異的なことだ。その割には教科書の記述が少なかったので、その点をいぶかしがったのが最初にビザンツ帝国に興味を持つ最初のきっかけだった。特に1204年の第四回十字軍で滅んだはずなのに、しれっと蘇っているのが腑に落ちなくて、山川出版社の「詳説世界史研究」で調べることにしたのだった。すると、小アジア西部のニカイア帝国、小アジア北東部のトレビゾンド帝国、バルカン半島南西部のエピロス専制侯国などずいぶんと怪しげな名前の亡命政権ができており、そのうちニカイア帝国が首都コンスタンティノープルを奪回してビザンツ帝国は一応の復活を遂げたという一幕があったのである。立役者のミカエル8世はかなりの策謀家で、あのシチリアの晩鐘にも一役かっている人物だ。

詳説世界史研究には、秘密兵器「ギリシアの火」についても記載があり、これがまた胸熱である。まず、これは文字通りの秘密兵器であり、ある皇帝が著書にその製法を厳重に秘匿するよう言明する記述を残している。当然ながら帝国の滅亡とともにその製法は失われてしまった。一説には松脂、ナフサ、酸化カルシウム、硫黄または硝石の混合物で作られたとされるが、実際のところは定かではない。海上戦で主に用いられ、サイフォンで船から放射されもので、今風に言えばある種の火炎放射器のようなものだ。こんなものを食らっては船は燃えてしまうし、水をかけるとますます燃え盛るというのだから困りものだ。ビザンツ帝国の防衛力の一端を担ったのが、この「ギリシアの火」である。

他にも、ビザンツ帝国はユニークな点がある。ある蛮族が強くなったら別の蛮族を呼び寄せて戦わせるビザンツ流の老獪な外交術。総勢90人位の皇帝の半数は暗殺・失脚で権力の流動性がかったこと。美人コンテストで皇妃を決めていた時期もあった。そして個性的な皇帝たち……我が子の目をえぐり定位に君臨する女帝エイレーネー、鼻をそがれ追放されながらも地下水道から首都に侵入し帝位に返り咲いたユスティニアノス2世。ヘラクレイオス帝、レオン3世、ヨハネス1世、ニケフォロス2世、バシレイオス2世などの名皇帝達。軍事面ではテマ制や、エリート重装騎兵隊カタクラフト……枚挙にいとまがないほどだ。伊達に東西分裂後1000年生き延びてはいない。

残念ながらビザンツ史の資料は少ないのだが、資料の少なさは戦乱の裏返しであり、文明の十字路を四方八方から民族が押し寄せる中戦い抜いたことの証左なのだ。ビザンツ帝国は日本には縁遠いかもしれないが、もう少し興味を持たれるべき対象であっても良いのではないだろうか。
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