馬車郎の私邸

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「作品の長さが作る、登場人物の個性の"厚み"について」

土曜朝7時半にテレビ東京系で再放送されている「遊戯王GX」を見ていて、思うところがあるので、一筆書いておこうと思う。一言で言ってしまえば、長い作品における、登場人物の個性の重厚さは、1クールアニメの比ではない、ということだ。今日は、登場人物の個性の重厚さのうち、「作品の長さが作る登場人物の個性の"厚み"について」書く。

1クール、あるいは2クールのアニメにおける登場人物の個性は(たとえ原作では奥行きが深かろうとも)、類型的なものになりやすい。もちろん、これは悪いことだとは一概には言えないであろう。放映される期間の短さ故に、視聴者にキャラの魅力をわかりやすく伝えるには、どうしてもありがちとはわかっていても、"お約束"がお手軽であり、またそれを望んでいる視聴者も多い。また、作品が短いために、作中の人物の個性を一貫させやすい。

それに対して、遊戯王GXのような放映期間の長い作品では、ストーリーが進むに連れて、人物は類型化された個性に加えて、独自のキャラクター性を形成していく。作品で描かれる世界において、登場人物が相互作用するために、登場人物に当初与えられていた個性に、新しい個性が自然と肉付けされていくのである。つまり、登場人物の個性は、重層的なものとなり、"厚み"を獲得していくのである。

長きにわたって登場している人物は、その台詞や行動というものが累積していく。そのため視聴者にとっては、ある側面においては、現実世界の人間と同じように捉えることもできるようになる。現実世界の人間は、その個性は説明され、提示されるものではない。また、わかりやすく類型化されたものでもない。過去の言動がどのようなものであったかにより、接した経験の厚みに応じて、総合的に判断されるのである。このように、人物の個性の認識という点で、短い作品と、長い作品や現実世界の間にはかなり大きな隔たりがある。(後者の構成要素内にはもちろん大きな乖離があろうが、とりあえず捨象していただきたい。というのは、ここでは、短い作品と長い作品との比較が主な目的であるからである。)

上記の、放映期間の長い作品で、キャラクターは当初の個性に加えて、独自の個性を育むということについては、良い面ばかりではない。悪い面ももちろんある。あなたにも見覚えがあるだろう。初期に登場した強豪キャラが、かませ犬状態になったり、あるいは解説専門キャラになってしまうことに。バトル漫画では、強さのインフレーションが進みやすいため、このような傾向になりやすいと思える。

では、遊戯王GXではどうだろうか。たとえば、三沢大地を例としてあげてみよう。彼は、第1話から登場しており、頭脳明晰、スポーツ万能、器量も大きいというライバルキャラとして申し分ない個性を与えられていた。しかし、1期においては出番が多かったものの、2期になるとキャラの濃い登場人物に喰われてとたんに出番が減ってしまった。(使っていたカードもどうにも扱いづらそうだったせいか、OCG化されているものは少ないようだ)

このまま彼が作品から消えてしまっていたら、私は、悪い面の具体例として取り上げていたことだろう。しかし、制作陣はこの三沢大地をうまい具合に使ったように思える。作中で丸藤翔に「いたんだ、三沢くん」と言わしめるのは、逆に制作陣が影の薄さをネタにする形で三沢の存在感を示したとも言える。それだけではなく、影の薄さをうまくストーリーにつなげた点をむしろ評価したい。影の薄さを自覚した三沢は、作中で猛威を振るっていた宗教団体(?)光の結社にはいってしまうのである。しかも、勝てるはずのデュエルにわざと負ける形であったため、他の登場人物は洗脳されたにも関わらず、彼は自分の意志で光の結社に入ったという差異が生み出された点でユニークである。

とはいえ、それで飛躍的に出番が増えたわけではなく、結局2期の95話で、悩む三沢はデュエル物理学(!?)の権威ツバインシュタイン博士に師事することを決める。この展開は一見唐突にも見えるが、これは部屋中に数式を書きまくるほどの数学好きという個性を、伏線としてうまく回収したものである。ただし、その覚醒の様子は唐突であった。それというのも、浮力の原理を思いついたアルキメデスばりに「ヘウレカ!(分かった!)」と叫んだ三沢は、突然服を脱ぎ捨て全裸となり、学園内を疾走するからである。それまでの影の薄さを払拭する凄まじいインパクトだ。ともあれ、このように三沢大地というキャラクターを、うまいことしっかり退場させたスタッフの手腕を評価したい。


こうして作品世界から退場したはずの三沢大地は、思いも寄らない形で3期に再登場した。異世界に飛ばされたデュエルアカデミアとともに、彼もまた実験の最中に異世界に飛ばされていたのだという。結局、科学知識を有する三沢大地がいなければ、主人公一行は元の世界に戻ることは出来なかったのだから、予想外の大活躍である。再び向かった異世界では、「融合」のカードを使えなくなった十代を叱咤激励したところが最後の見せ場だった。そして、三沢は結局、必要としてくれる人々がいるために、異世界に残ることを選んだ。1期では結局相手にされなかったタニヤも一緒である。この決断は、登場人物の中で、一番最初に自立したとみることもできよう。

切って捨てる退場劇ではなく、うまい具合にそれまでの個性とストーリーの展開を融合させながら、三沢大地を名脇役にした制作陣の深謀遠慮には恐れ入る。だからこそ、三沢大地というキャラクターは「空気」とネタにされながらも、愛されるキャラクターになることが出来たのである。

本稿では、三沢大地を例に用いたが、それ以外にも十代と翔の友情(愛情)や、万丈目準の行動の変遷、クロノス先生の性格等々、人物の個性は全180話という作品の長さによって、厚みが増したのである。このような、個性の厚みというものを育むことができるのは、長期間放映される作品の特権であり、伸ばすべき長所である。1クールのアニメでは難しいことだ。たとえば、「魔法少女まどか☆マギカ」レベルにまで作品の構想を高めないと、登場人部の個性に、奥行きや深みを生み出すことは難しいだろう。