馬車郎の私邸

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原作→アニメか、それともアニメ→原作か。それが問題だ。

昨日の記事で、アニメは原作大量消費時代を迎えていることを書いた。そこで番組の改編期になると、我々は悩むわけだ。原作を読んでからアニメを見ようか。それとも先にアニメを見てから、(それで面白かったら)原作を読もうか。そういうわけで、「ハムレット」の一節「to be or not to be, that is question」のように「原作→アニメか、それともアニメ→原作か。それが問題だ。」となる。

まず、「原作→アニメ」の利点を考えよう。そもそも愛読してきた漫画や小説がアニメ化されることは原作ファンには嬉しいことだ。アニメには動きがあり、声がつく。アニメ化するだけでそれ自体に意義がある。

そうしたアニメ化の付加価値が上手く機能すれば良い。しかし、その一方で原作の改変や話の省略が悪い方向へ行くと、これは残念なことになる。さらに、原作を既読だと、先の展開を知っているために、この先どうなるかわからない!というワクワク感は少ない。とはいえ、原作をすでに読んでいるなら、それは単に仕方のないことである。ただ、原作のシーンがアニメではどうなるかな?という見方ができる楽しみはある。この点で、先の展開を知っていることは、必ずしも悪いわけでもない。

それに対して、「アニメ→原作」はどうか。利点としては、原作を知らないために、先の展開が楽しみになることが挙げられる。毎週ワクワクしながら見ることができよう。欠点としては、その作品が面白いのかどうかは実際に観るまでわからないことだ。しかし、原作を先に読んでいないならば、この点は当然甘受すべきだろう。

原作→アニメか、それともアニメ→原作か。これが問題なのだが、もちろん甲乙付けがたい。そもそもアニメ化される前に原作を読んでいたら、後者の順番を取ることは不可能だ。そこで、アニメ化された作品の原作の漫画あるいは小説が、本屋で平積みになっている光景を想定しよう。この時、アニメの放映前に、我々は当該作品の原作漫画or小説を手に取るべきだろうか?

結論から言うと、原作が小説である場合、アニメ化された作品の原作よりも、まずアニメを見ることをおすすめしたい。原作を知らない人は、アニメを見てから原作を読んでも遅くはないと、私は考える。表現媒体の違いを利用して楽しむなら、この順番のほうが望ましいと思えるからだ。

私の場合だと、「とらドラ!」や「ゼロの使い魔」はアニメを見てから原作を読んだ。アニメのダイナミックさや、役者の演技を楽しんでから、原作の細やかな心情描写や読後感を堪能する。アニメは動的な表現に向いており、それに対して小説は静的な描写に向いている。また、アニメを見てから小説を読むと、大筋を知っているので、細部に自然と目を配りながら読むことができる。

「とらドラ!」の場合においては、第4巻第6巻における竜児と実乃梨のやりとりの妙味はアニメでは十分表現しきれていなかったと思う。これは演技云々というよりはむしろ、小説なればこそ映える場面なのだ。地の文はアニメにはないのだから。しかし、大河が生徒会長に殴りこみをかけるシーンのアクションや、釘宮理恵の演技は、当然ながらアニメでは表現できても、小説では表現しきれないものだ。このように、アニメと小説では際立つポイントは違ってくる。だからこそ、1粒で2度美味しい。

「ゼロの使い魔」については、これもアニメと小説で見え方は大きく違ってくる。アニメにおけるルイズは至高のツンデレとして描かれており、いささか外連味はあっても、釘宮理恵の演技を十二分に堪能できること必定であろう。しかし、小説で読んでみると、ルイズはむしろツンデレというより、生真面目さと奇天烈さを併せ持った人物に思えた。また、心情描写の深みについては、アニメ版とは比較にならない。ヤマグチノボル氏は、そもそもときメモの片桐さんの小説により、ネット上で名声を博していたと聞く。ラブコメにかける情熱は文章に満ち溢れている。

概して、ラブストーリーが絡む作品については、アニメ→原作の順番が好ましいと思える。もし、私が「とらドラ!」や「ゼロの使い魔」を原作既読の状態でアニメを見たら、登場人物の人間模様や感情が十分描写されていないと失望していた可能性は非常に高い。アニメ→原作の順番で本当によかったと思う。

原作→アニメということでは、「とある魔術の禁書目録」の2期に関しては、原作小説既読の状態でアニメを見た。原作は非常に設定などが複雑なので、アニメを見たときにわかりやすさはあった。また、先の展開を知っていても、実際映像になってみると、これはこれで面白かった。しかし、アニメは展開が非常に急ぎ足だったため、セリフやシーンの大量カットには、原作既読者ならではの不満を抱く点もあった。この点は、原作を先に読んでなかったら問題は生じなかっただろう。

このように経験上からは、原作が小説の場合は、アニメを見てから原作にいくのが良いように感じられる。動から静、大から小と移るのが、表現媒体の特性を利して楽しむには、自然に思われる。特に心情描写に定評のある小説の場合、小説を読んでからアニメを見ると細かい描写がないことに違和感を覚えたり失望する可能性が懸念される。

最後に、原作が漫画の場合は、原作→アニメ、アニメ→原作のどちらを選択すべきか。アニメと小説の場合ほど、表現媒体の特性に乖離があるわけではないが、あえて言うなら、漫画は時間を圧縮している点に注目したい。コマの中に動きや会話を凝縮しているので、当然ながらアニメよりも尺は短い。アニメを1話見る時間と、漫画を1冊読む時間は全く長さが異なる。アニメを見る時間はない人は漫画だけでも十分だろう。

とはいえ問題は、両方を楽しむ場合の順番だ。これについては単に、先の展開を知りながらも毎週アニメを見たいのか?と、自身に問いかけるのがよい。しかしながら、原作を読んで先の展開を早く知りたいという蠱惑的な好奇心と欲望に、あえて身を委ねてみるのも一興だ。どちらを選ぶかは結局はお好みしだいだろう。

さらに付け加えると、アニメ→漫画の順番は、アニメと同時に漫画が始まるパターンはおすすめできない。とりわけ、角川系列に顕著だが、アニメの進行に漫画は追いつかないので、たいていは短く漫画版は終わってしまう。そのため漫画版は不完全な場合が多い。十分な原作が溜まってからアニメ化する場合はもちろん、この限りではない。


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