馬車郎の私邸

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アニメに原作がないことは差別化になりうるか?

2011年の冬アニメで、最もネット上で話題になったアニメは「魔法少女まどか☆マギカ」であろう。このアニメの面白さはいったいどこから来るのか。脚本、演出等々、全てにおいてクオリティが高いのは確かだ。ただ、そのなかで面白さの最大の要因は「予想もつかない展開」にあるのではないかと思う。もちろん、脚本家の虚淵玄にすべてを帰すのでは話が終わってしまう。そこで、他のアニメとの差異に着目してみたい。それは、「原作がないこと」である。

近頃のアニメは放映本数の多さと放映期間の短さに特徴がある。10年前、20年前を思い出してみると、週に放映される数は雲泥の差だ。また、昔は1年、あるいは1年以上放映されるのが主流だった。しかし、現在は、少数の特定の作品は極端に長く放映される一方で、1クール、2クールが主流となっている。つまり、放映される期間において二極分化が進んでおり、放映期間の短い作品が大量消費される構造にある。

そうした状況において、アニメ用の原作が速く大量消費されている。漫画もライトノベルも次々にアニメ化が決定し、そして3ヶ月、半年といった期間、アニメが放映され、そしてまた次のコンテンツがアニメ化される…というサイクルが繰り返されている。このような状況においては、原作なしでアニメを制作するより、原作を使ってアニメ化するほうが手っ取り早いのだから。

こうして、漫画とライトノベルが次々とアニメ化している中で、珍しく「魔法少女まどか☆マギカ」は、既存の原作を使っていないアニメ作品として登場した。この点は他のアニメとの差別化になったのではないか。漫画版はあるとはいえ、これはアニメの展開から遅れて発売されており、アニメを軽快に要約したものだ。したがって、これは原作ではない。

原作のアニメ化ではないということは、次の展開を誰も知らないということだ。そのため、毎週次はどうなるのかな?とワクワクしながら見ることができる。ましてや、「魔法少女まどか☆マギカ」は衝撃的な展開が毎話続いており、好奇心を掻き立てられる。このことが、原作大量消費型のアニメ化サイクルの中にいたアニメファンの心に響く作品になった要因の一つではないかと私は考える。

この1年で自分の視聴していたアニメで、面白かったのは何か?と聞かれたら、私はこう答えるだろう。「遊戯王5D’sだ」と。これも原作のないアニメである。ただのカードゲームアニメと侮るなかれ。カードゲーム自体の展開も面白いが、それ以外のストーリー自体も面白い、次の展開が予想もつかない。あるいは予想できてもその予想を越えることが多い。ツッコミが追いつかないことは日常茶飯事だ。この107話と109話のまとめを見ればわかるだろう→遊戯王5D's 今週の遊戯王がカオスすぎる件について 【実況まとめ】
今週の遊戯王5D'sがまたやってくれたぞwww【実況まとめ】

そういうわけで、原作つきではないアニメは意外と面白いのではなかろうか。先を知らないことで、毎週ワクワクしながら楽しくアニメを見ていた子供のころを思い出してみるのも一興だ。