馬車郎の私邸

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古代ローマ帝国の街道について

 前3世紀から、紀元後2世紀までの間にローマ人が敷設した道の全長は、幹線のものに限っても8万キロ(地球2周分!)、支線まで加えると15万キロに達した。前5世紀には、ペルシア帝国には地中海からペルシア湾に抜ける舗装道路があった。だが、それは街道であって、街道網ではなかった。しかしローマ人は、街道をネットワーク化することによって、軍団の迅速の移動や、物流の活性化を成し遂げた。

 では、そのローマ街道はどのように作られたのであろうか。基本的には4層の構造となっていて、まず地面を1メートルから1,5メートルほど掘り下げる。底を平坦にした後で、砂利を敷き詰めていく。第3層は、石と砂利と粘土質の対地を混ぜて敷き詰め、第2層では細かい石を詰め込む。そうして最後に、接面が合うように切られた1辺が80cmほどの大石を隙間なく敷き詰めて完成だ。また、街道の表面はゆるい弓の形になっていて、両脇には排水溝が作られた。その排水溝にはところどころ穴が開けられて、外に水が出て行くようになっていた。さらに、4メートル強の車道の両側にはそれぞれ幅3メートルの歩道が作られていた。これは町に中でなくとも同じで、必ず歩道もあった。中央の車道は馬や馬車が全速力で駆けることが出来るようになっていたわけだ。

 このようなローマ街道は主に軍団兵によって作られた。征服した土地には街道が敷かれ、異変があればすぐに駆けつけられるようにしたのである。第一義には、ローマ街道とは、駐屯地からの軍勢の覇権が必要なときに軍団を移動させる道であった。だからこそ、兵糧や軍需物資も速やかに運搬可能になっていたし、重い攻城兵器の輸送にも耐えうるつくりになっていた。糧食、物資を輸送しながらも、フル装備の重装歩兵軍団が、時速5キロで行軍したと言われるのは、ひとえに道路のおかげでもあった。
 
 また、征服された現地の住民にとっても、物流が便利になる道路建設はメリットがあっただろう。一般の人々もこの街道を利用したが、料金はただで、関所もなかった。当時の高速道路といってもよいローマ街道を利用したのは農民や商人もいた。例えば山間部に孤立していたときは、自給自足であったのに、街道網の整備で村の産物を都市に持っていくことも容易になった。可能な限り平坦に直線に舗装されたローマ街道、それ以前のただ踏み固めただけの道よりも時間を短縮できただけではなく、荷物も多くつむことも出来た。交通の回数だけでなく、一回ごとの運量も増大したのだ。人と物が頻繁に交流するようになれば経済は活性化する。帝国全域に張り巡らされた街道網は、巨大な経済圏を実現した。すなわち、ヨーロッパと中近東と北アフリカを網羅する、EUを凌駕する規模の経済圏である。

 とはいえ、経済圏が機能するのは平和があってこそだ。パクス・ロマーナは単に外敵を防衛しただけではなく、多民族国家である帝国内部の紛争も解消したから実現したのだ。これが、約30万の軍団兵だけで広大な版図の防衛ができた要因であった。