馬車郎の私邸

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古代ギリシア・ローマ文明が残したものについて

 古代ギリシア・ローマ文明がわれわれに与えた影響は計り知れない。それはヨーロッパだけではなく、極東の島国においても同様である。日本人でさえ、ラテン語・ギリシア語に由来する言葉を使っているのだ。イギリス、ドイツ、フランスはじめ、ヨーロッパ各国の言語はラテン語、ギリシア語に由来するし、大量に語彙を取り入れている。今ラテン語を口語として話しているのは、ローマ教皇庁の中くらいだが、病名やそういった学術用語に関しては多くがラテン語、ギリシア語である。また、ラテン語がスペルはそのままに各国語読みにして使われることは多い。国勢調査はラテン語でcensusだが、英語でもcensusである。かつて護民官が持っていたveto(拒否権)は、国連安全保障理事会の常任理事国のvetoとして、そのまま使われている。このように、言語面での影響は非常に大きい。

 ギリシア神話も現代人に関わりがある。子供が絵本で読むこともあれば、数々の優れた芸術作品の題材ともなっている。文学作品だけでなく、オペラ、演劇、絵画の題材として、ルネサンス期以降、よく採用されてきた。古代ギリシア・ローマの神話の歴史に、現代人は芸術を通して触れることが出来る。とはいえ、古代の知的遺産に直に触れることも可能だ。キリスト教の国教化に伴い、膨大な数の図書館が閉鎖されたので、残念ながら散逸し失われた書物も多いのだが、例えばプラトン、クセノポンなどの著作はほぼ全て残っているし、その他の書物も現代に受け継がれてきた。
 
 活字媒体といっても、何も本だけが残ったわけではない。手紙・碑文といった類のものもそうだ。キケロの書簡によって、カエサル暗殺当時の状況の推移も、われわれは詳細に知ることが出来る。哲学の一学徒でありながら副帝となり、ガリアで健闘したユリアヌス帝の内面もそうだ。そして、ギリシア・ローマの歴史家たちは、歴史学の始祖であり、また古代の地中海世界は歴史学の対象としてたいへん興味深いものである。

 ギリシア人、ローマ人は芸術作品も多く残した。彫像が特に代表的であるが、これらは大部分が破壊されてしまった。4世紀、5世紀に、キリスト教徒によって偶像は大量に破壊された。ギリシア、ローマ人は人間の裸体こそ究極の美と考えた。また、神々の姿も裸体で表された。キリスト教徒になった人々にとっては、こういった彫像はキリスト教の倫理観にそむくものであり、また異教の神々であったので、破壊を行なった。コロッセウムの外観を飾っていた彫像も、公衆浴場の中を装飾していた神々の像も今となっては失われている。

 古代の遺跡は各地に残っている。水道橋をはじめ建築物で今なお立っているものは多い。ローマ人は土木・建築が得意であった。セメントを発明したのは彼らだったし、軍団兵はしばしば土木作業員へと一変する。トラヤヌス帝がダキアに攻め込む際に、ドナウ川に1キロメートルもの長さの橋をかけ、今も橋げたが残っている。ユリウス・カエサルはライン川にわずか数日で橋を建造し、ゲルマン人相手に電撃戦を行なった。ローマ軍は、戦時にも平時にも、建築作業を行なっていた。ネロ帝時代の名将コルブロは、「ローマ軍はつるはしで勝つ。」と言っている。行軍と軍需物資輸送のため、道路網が帝国中に張り巡らされた。アッピア街道をはじめとする舗装道路は幹線だけで、実に8万キロ以上、地球2週分の長さを越えている。ローマの支配領域が拡大するにつれて、拡張、延長がなされたのだ。「すべての道はローマに通ず」という言葉があるが、「すべての道はローマから発する」と言ったほうがいいかもしれない。

 ローマ人の作ったもので、現代に残ったのは目に見えるものだけではない。法律もまた、現代に受け継がれている。現代の各国の法は、ローマ法を参考にしている。6世紀のユスティニアヌス帝の時代にローマ法の集大成がなされたが、ローマ法大全は人類に大きく寄与した。

 ローマ帝国それ自体も、理念として後世に影響を与えた。カール大帝が授かったのは西ローマ帝国の帝冠であった。ドイツ地域の帝国は、15世紀から神聖ローマ帝国と呼ばれた。また、東ローマ帝国が1453年まで生き延びたのは、ローマ帝国というイデオロギーにも一因があった。東地中海のギリシア人たちは、自らをヘラスではなく、ローマ人と自称していた。四方八方からの襲撃を耐え忍び、東西分裂後1000年も続いた東ローマ帝国の粘りは、まさに驚異というほかない。

 ローマが後世に与えた影響といえば、キリスト教の普及も大きい。1世紀にはタキトゥスでさえ「有害きわまる迷信」と断じたように、この一神教はまったく相手にされなかった。しかし、3世紀以降、ローマ帝国の衰退とともに、救済宗教であるキリスト教は、不安にさいなまれる人々の心をつかんでいった。一部の皇帝の弾圧は不徹底であった。4世紀には、勅令によって、キリスト教は国教となり、帝国全域に定着した。以来ヨーロッパの主要な宗教はキリスト教である。
 
 19世紀の歴史家ブルクハルトはこう言った。「もしも、コンスタンティヌスからテオドシウスにいたる皇帝たちによる、キリスト教のみを宗教と認め他を邪教とした数々の立法がなければ、ギリシア・ローマの宗教は現代まで生き延びていたかもしれない」と。仮に、”背教者”ユリアヌス帝の治世が10年長かったなら、キリスト教とて、現代にこれほど大きな宗教勢力として伝わらなかった可能性はある。過去の出来事が現代に影響を与えることは、必然に寄るものではない。少し出来事が違っていたら、我々が生きる現代も、このような現代ではなかったかもしれないのだ。

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