馬車郎の私邸

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古代ローマ人は、キリスト教をどのように見ていたか

懐かしい文章が色々と出てきたので、その一部を紹介しよう。今回は、大学1年の時に発表で作ったレジュメだ。たしかこれは、「キリスト教の拡大」について班で発表したときに、自分は「ローマ帝国における」キリスト教の拡大について述べた。

ここで問題にするのは、後世の人間によって(もしくは後世のキリスト教徒によって)書かれた史料ではない。当時のローマ人はキリスト教徒(クリストゥス信奉者)をどうみなしていたかという点に絞って、その一端を示そうというのである。

古代の著者たちが、キリスト教徒に対してどのような評価をいだいていたかは色々興味深い。例えばスエトニウスの「ローマ皇帝伝」。
「前代未聞の有害な迷信にとらわれた人種であるクリストゥス信奉者に、処罰が課された。」

ああ、いわゆるネロ帝のキリスト教徒迫害のことか。と思って続きを読むと、
「以上で私は、批難の余地のまったくない、いやむしろ偉大な賞讃に値する事蹟を、ネロの破廉恥と罪悪から区別するために一括して述べてきた。今から後者について述べてみたい。」

え!いい方の業績だったのかよ!と、後世の人間としては思ってしまうf^^;だが、現代の常識と、当時生きていた人たちの常識と価値観はもちろん違う。多神教が圧倒的多数の地中海世界で、一神教で頑迷な謎の新興カルト宗教団体が出てきたら、たしかに当時の人達だっていい印象を持つとは限らないのは分かる話。

他にもたくさん、古代ローマ人がキリスト教徒について書き残している文章はある。プリニウス総督がトラヤヌス帝に手紙で相談しているところなど、現代の会社において、困った案件を上司に相談する社員のようで微笑ましい。

また、"社会"や"世界史"で習うようなキリスト教徒の迫害については、実際に史料を調べてみると、また違った様相を呈するので興味深いところだ。キリスト教がローマ帝国に浸透していくのは長い年月がかかったが、その間におけるキリスト教の順応・変質もまた面白い。

このレジュメは、基本的には抜粋・引用から成っている。善悪の価値判断や評価は特に行ってはいない。どういうことがあったのか、古代人はどう思っていたのか。読んでみると意外な発見がいろいろあると思う。何か役に立つ示唆が得られれば幸いである。


ローマ帝国とキリスト教(1世紀~4世紀)

☆多神教:神々は絶対者ではなく、人間に倫理を強いるわけではない。また、人間を守護する。聖典や教理はない。他者の信じる神をも認める。
☆一神教:神は唯一絶対の存在であり、人間の生きる道を指し示す。聖典と教理があるため、解釈によって異端が生じることもあり、内部抗争も起こりやすい。

☆ローマ人のキリスト教観

一般的な意見
・神々の共存を認めない、キリスト教徒は無信仰者(アテオ)である。
・パンをイエスの肉、ぶどう酒をイエスの血に見立ててミサを行なうキリスト教徒は、人身御供の儀式をしており、野蛮である。
・ローマ帝国では秘密結社が禁じられているが、隠れて集会をしているキリスト教徒は怪しい。

文献からの引用

・「有害きわまる迷信」(タキトゥス「年代記」)
・「前代未聞の有害な迷信にとらわれた人種であるクリストゥス信奉者に、処罰が課された。」(スエトニウス「ローマ皇帝伝」)

・「(前文略)彼らにまずクリストゥスであるかどうかを尋ねました。告白したものには処罰すると脅しながら二度、三度と。それでも固執した者は処刑のため連れ去るよう命じました。というのも、彼らの固執している信仰がいかなるものであれ、その強情さと頑迷さは処罰されるべきだと思いました。他にも狂気じみた者がいました。(中略)二人の奴隷を尋問した場合でも、邪悪で狂的な迷信以外の何物をも見出せなかったのです。(中略)この種の人々は悔い改める余地が与えられれば、どんなにたくさんの者が矯正されるか、容易に想像できます。(プリニウス「プリニウス書簡集」)

・「(前文略)クリストゥス信者を捜し求めるべきではない。もし彼らが告発されて有罪を認められれば、罰するべきである。とはいえ、棄教者には相応の配慮がなされねばならない。それには、彼らがわれわれの神々を敬う気持ちを明確に示し、後悔の念も明らかにする必要がある。それが明らかになれば、過去がどうあれ免罪に処する。また、無署名の告発は無効とする。(トラヤヌス帝「プリニウス書簡集」より)

・魂が肉体から離れねばならないときに、それを安らかに受け止めることが出来たら、なんと素晴らしいことだろう。だが、この心の準備は、人間の自由な理性によって達した結果でなければならない。キリスト教徒たちのように、かたくなな思い込みではなく。」(マルクス・アウレリウス帝「自省録」)

☆政治とキリスト教

・ティベリウス帝の治世、イェルサレムの司祭たちはイエスに死刑判決。ユダヤ総督ピラトゥスはそれを了承。
・64年、ネロ帝はローマの大火の責任をキリスト教徒になすりつけ、放火罪と人類敵視の罪で、約200人を処刑。
・トラヤヌス帝時代、アンティオキアとイェルサレムの司教が殉教。
・アントニヌス・ピウス帝の時代、首都ローマで5人が斬首刑
・マルクス・アウレリウス帝時代、ガリアのルグドゥヌム(現リヨン)で、ローマ市民権を持っていた一人は斬首刑、その他の4人は闘技場で公開処刑された。
・250年にデキウス帝が、キリスト教徒でないことを示す証明書発行を義務付ける。
→直後に皇帝は戦死。不徹底に終わる。
・257年にヴァレリアヌス帝がキリスト教のあらゆる祭儀と集会を禁止。ローマの神々の公の祭儀に参加しないキリスト教聖職者は、追放、財産没収、または死刑に処された。
→ヴァレリアヌス帝はペルシアに捕らわれ、それに伴う危機によって中絶。

・303年、ディオクレティアヌス帝による迫害。(教会破壊、集会祭儀禁止、聖書没収、公職追放)
→死刑はごく少数、大半は投獄か強制労働だった。大迫害とはいえない規模。
309年に禁令は解かれる。
・313年、ミラノ勅令によって、キリスト教は他宗教と平等の地位を得るが、これはほぼ建前で、コンスタンティヌス1世は、公費を使って積極的に支援。また、聖職者に免税特権を与えた。
・ニケーアの公会議で、三位一体説に教義を統一。だが、依然としてアリウス派も有力だった
・コンスタンティウス2世は、偶像崇拝を禁止し、異教の神殿の閉鎖を命じた。
・ユリアヌス帝は、帝国の信教状態をミラノ勅令に戻した。キリスト教会に与えられていた特権を全廃し、異教の再興を命じた。
→在位わずか1年8ヶ月で戦死。異教振興はなされることなく終わった。
・グラティアヌス帝とテオドシウス1世は、反異教、反異端の勅令によって弾圧を行なう。異教の祭儀は私的なものを含め全面禁止。393年オリュンピア競技会廃止。ローマ元老院でのユピテル神への有罪判決。異教の神殿、偶像は破壊される。
・テサロニケでの虐殺事件を、ミラノ司教アンブロシウスに糾弾され、テオドシウス1世は屈服し、謝罪した。

☆キリスト教拡大の主な理由
・ローマ帝国の弱体化(重税、防衛力低下、農地荒廃、内戦など)に伴う、古代の神々の信用低下
・救済宗教であり、人々に希望を与えた。(魂の不滅、神の国の到来)
・誰でも入信可能
・現世利益(コミュニティ結成による相互扶助、聖職者とその使用人は免税)
・3世紀後半以降の柔軟性(偶像崇拝は建前上禁止、守護神の概念は守護聖人へ、割礼の廃止→水による洗礼、公職への参加も4世紀前半に認められた。)



[参考文献]
「ローマ帝国衰亡史」1,2、3,4巻(ギボン、ちくま学芸文庫)
「世界宗教史」3(ミルチア・エリアーデ、ちくま学芸文庫)
「多神教と一神教」(木村凌二、岩波新書)
「自省録」(マルクス・アウレリウス、岩波文庫)
「年代記」(タキトゥス、岩波文庫)
「ローマ皇帝伝」(スエトニウス、岩波文庫)
「ギリシア・ローマの盛衰」(村川堅太郎、長谷川博隆、高橋秀、講談社学術文庫)
「プリニウス書簡集」(講談社学術文庫)