馬車郎の私邸

漫画、アニメ、ゲーム、音楽、将棋、プロレス観戦記など「趣味に係るエッセイ・感想・レビュー記事」をお届けします!ある市場関係者のWeb上の私邸

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」第2巻、伏見つかさ、電撃文庫

第1巻での桐乃の窮地は、あまりにも献身的すぎる兄貴の尊い犠牲によって救われた。しかし、第2巻では、桐乃の友人の新垣あやせに、桐乃の趣味がばれてしまう。前回はあくまで家庭内で発覚だが、今回は友人への発覚。無碍にするというのではなく、心底桐乃のことを思って、あやせは桐乃に趣味をやめるよう促す。だからこそ厄介なのだが、今回も兄貴京介は粉骨砕身。妹のためにいかなる誤解もいとわない様は、よくわからない感動を呼ぶ。

あやせの主要な意見はゲームは悪影響を与えるというもので、聞き飽きたけれども根強い通説である。だが、人はゲームと現実を混同するのではないかと本気で主張する人間こそが、ゲームと現実を混同しているのではなかろうか。あるいはこうした意見は、奇矯な事件が起きてコメントを求められたコメンテーターの、その場しのぎの便利で安易な逃げ道と言い訳に過ぎない。

また、仮に人がゲームのような外部要因に影響されて事件を起こすとしたら、それは単にそれだけのことでしかない。犯罪のうち、一体何分の1が真にゲームに影響されたものなのか。犯罪が起きるときの環境要因として、もっと重要なことは他にあるのではないか。事件を起こしたものを規制するなら、たとえば「若きウェルテルの悩み」を読んだ若者の間に自殺が流行ったことが実際にあるが、ゲーテの小説は規制されるべきだろうか。

あえて、たとえばゲームのようなものを犯罪誘発の温床として糾弾することがあまりにたやすいのは、ゲームが物であるという当たり前の事実に由来する。要するに、「物を憎んで人を憎まず」にしておけば、丸く収まるという期待があるからである。本来、犯罪は人間がやるものだから、犯罪の責任は属人的なものであるはずだ。物が責任をとることはないが、人間は責任をとることができる。なのに、犯罪の原因を物に対して求めるのは、あまりにも滑稽なことではないか。

さて、肝心の本編の話だが(もちろんネタバレである)、 京介は親父との戦いに負けず劣らず、極端までの自己犠牲精神であやせに挑む!高坂京介は犠牲になったのだ…全巻では京介にただ助けてもらうばかりだった桐乃も堂々と開き直る。親友に対して「あなたもエロゲーと同じくらい好き!」という衝撃的なセリフをのたまうに至っては、恐るべし!としか言いようがない。これほど、断固とした覚悟がこもったセリフは珍しい。

ダメ押しは京介の"聖なる"言い訳。あやせは、妹もののエロゲーを好きという桐乃の趣味を認められない。ならばと、取り出したのは「日本書紀」「オデュッセイア」「エジプトの神話~オシリスとイシス」である。イザナギとイザナミ、クロノスとレアー、オシリスとイシスらの兄妹で結婚している神々を持ち出して説得しようというのだ。

ここで終わればよいものを…ただ、それだけではこの作品は小さくまとまってしまう。真打ちは、妹ものエロ同人誌である。これを兄妹の愛を描いた芸術作品と称するばかりか、神話とどこが違う!と迫る京介には、あやせと読者は「あ―あなたいま各国の神話とナニを一緒にしました!?」と声をハモらせること必定である。

だが、ここで仏もびっくり、史上最大級の"嘘も方便”が炸裂する。
「近親相姦もののエロ同人誌だよ!文句あっか!そのエロ本に描かれているのはなあ、紀元前から連綿と受け継がれてきた兄妹愛の物語だ。世界でもっとも尊く美しい文学だ。そう、俺たちは決して邪な気持ちで愛好しているわけではない!
なぜならば―
俺はあやせの手元にビシリと指をつきつけ、涙ながらに叫んだ。
「そいつはなあ!俺と桐乃の"愛の証”なんだよ!」
(中略)
「見ての通りだ、あやせ。俺たちは愛し合ってんだよ!だからこそ許されざる愛の物語を集めていたんだ!俺たちの愛の証は穢らわしいだなんて言うなっ!」

ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
壮絶極まる嘘八百!
だがしかし、続く1節に、"嘘から出たまこと"があふれてくるのだ。

「……桐乃の趣味は、俺たちの兄妹の仲を、ぶっ壊れた絆を繋いでくれたんだよ。あの時アレを見つけなきゃあ、俺たちの関係はずっと冷めきったままだった。一番そばにいた妹のことを助けてやることなんてできなかった。カンケーねえってそっぽ向いたまま、妹が鳴いているのを眺めるしかなかったんだ。だから俺は心底感謝しているぜ!てめえが穢らわしいとぬかした桐乃の趣味全部にな!こいつがあったからこそ、俺たちは初めて本当の兄妹になれたんだ!(中略)ウソなんかじゃねえ!これたちは俺たちの"愛の証"なんだ!いいか!いいか、よく聞け、俺はなあ―」
俺はもがき暴れる妹を、全力で抱きしめ、完全にヤケクソになって叫んだ。
「妹が、大ッッ……好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!」


なるほど、確かにある種の真実ではある。
だが、「毒を食らわば皿まで」を徹底しすぎている。
彼は、殉教者といっても過言ではないほどに、妹のためだけを思い、そして儚く散った。
よかったな、桐乃、おまえ親友とちゃんと仲直りできたじゃねーか。はっ、目にゴミが入ってきやがるぜ……ぐすっ。

我が身を犠牲に目的を達成してのけるその心意気に、マキャベリの「君主論」の1節を思い出した。

「君主たるものは、政体を保持するために、時に応じて信義に、慈悲心に、人間性に、宗教に背いて行動することが必要なのであり、人間を善良な存在と呼ぶための事項を何もかも守るわけにはいかない」

これを書き換えるなら次のようになるだろう。
「兄貴たるものは、妹のためには、時に応じて信義に、慈悲心に、人間性に、宗教に背いて行動することが必要なのであり、人間を善良な存在と呼ぶための事項を何もかも守るわけにはいかない」(君主論)

全国の兄貴達よ、妹のためにその身をささげる覚悟はあるか。


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