馬車郎の私邸

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「モンテ・クリスト伯」第1巻、アレクサンドル・デュマ、岩波文庫

恋敵と出世を妬んだ同僚に陥れられ、結婚式の最中に無実の罪で逮捕される!かくも衝撃的な出だしの小説はなかなか他にない。1巻はエドモン・ダンテスの壮大な復讐劇の序章。真の理由もわからずに、幸福から絶望のどん底にたたき落とされた男の心が、デュマの例のテンポ良い文体で浮き彫りにされている。(あらすじは一番下に)

主人公が幽閉される境遇は「山椒魚」とのアナロジーが見出せる。井伏鱒二の「山椒魚」の原題は「幽閉」だった。
あらすじ:うっかりして棲家の岩屋から出られなくなった山椒魚は、穴の外の景色を眺めて暇をつぶすが、自由を奪われたと知り悲歎にくれる。あるとき岩屋に迷い込んだ蛙を見て閉じ込めて、言い争いになるが、もはや岩屋から出るのはあきらめるしかなかった。

第1巻は短編の「山椒魚」を大長編にしたようなものと解釈するのも一興だ。山椒魚は「うっかりして」岩屋から出られなくなってしまったが、投獄された理由の真実もわからず孤島の牢獄から出られないダンテスもおよそ理不尽な境遇である。「山椒魚」の最後に出てくる蛙は、ダンテスにとってのファリア司祭見たてられるけれども、しかし「山椒魚」の何倍もの文章の量だから、この気違いとみなされている大賢人との邂逅は、大変なカタルシスを生み出す。まして、その出会いに至るまでの描写が膨大だから、なおさらだ。

また、ダンテスの牢獄生活の描写は細部にわたるまで具体的に描写されており、ダンテスと一緒にこの小説に閉じ込められたかのような錯覚さえ覚えるほどだ。牢獄の中とダンテスの心の中をえぐり出すように活写するデュマの文体は、翻訳においてもその魅力を失っていない。得意の打てば響くように連続する会話だけではなく、地の文でもたたみかけるように人間の情念と思考の奔流がほとばしる様子は、一読に値する。たとえば、ほんの一部を抜き出すと以下のような具合だ。

敵に死を与えるということ、それは平安を意味しているだから、残酷に罰してやろうと思ったら、死以外の手段を選ばなければならない。こう心のうちに考え続けている間に、彼はあの沈鬱な、動きのとれない自殺の観念のうちに落ち込んでいった。不幸の坂にかかりながら、こうした暗い考え足をとどめるものこそ、実に不仕合せといわなければならない!これこそは、死の海なのだ。真っ青に澄み渡った水の色を見せてはいるが、そこに泳ぐものは、次第に次第に、足をねばねばした泥の中にとられるように感じ、やがてそのほうへ引きずられ、そのほうへ吸い寄せられ、ついにはその中に呑まれてしまう。一度こうしてとらわれたが最後、もし神の救いの手が下らない限り、万事休すというわけなのだ。そして、つとめればつとめるだけ、ますます深く死のなかに落ち込んでいくというわけなのだ。

だが、こうした心の苦しみは、それ以前に来る苦しみや、おそらくはそのあとに来るであろう刑罰に比べて、さして恐ろしいものとはいわれない。それはめまいを起こさせるような一種の慰めで、目の前に、ぽっかり口をあけた深淵を見せてはいるが、その深淵のそこには虚無があるのだ。ダンテスは、ここまで考えつめて、そこになにかしら慰めを感じることができた。あらゆる苦しみ、あらゆる悩み、そのあとに来る幻の行列などは、いま、死の天使がそっと忍びこんできたこの牢獄の隅から、すっかり飛び去ってしまったように思われた。ダンテスは、心をしずめていままでの生活のことを思い返してみた。そしてこれからの生活のことを思い返してみた。そして、これからの生活のことを恐怖をもって考え、自分にとって一つの安息の場所と思われる中間の一点を選ぶことにしたのだ。


言葉が連なり、次の文へ次の文へと直線的に進んでいく様は、人間の思考の流れにそっていて非常にすらすらと頭に入ってくる。というよりは、ダンテスの脳と自分の脳が一体化し、同じように考えているかのようだ。古文を読むと、「。」が全然来ないで、どんどん文章が先に進んでいくが意外と読みやすい。あれと同じだ。

全7巻の大長編だから、第1巻はまだ始まったばかり。ダンテスが牢獄を脱出し、モンテ・クリスト伯になっていく次巻は、この第1巻の分量がいわば、てこになり、より面白い展開になっていく。1話完結ではない、長編小説の醍醐味はここにある。積み上げた物語の蓄積があるからこそ、それがてこになり、様々な人物の言動や末路が面白くなっていくというものだ。最近のアニメは、13話とか26話とかばかりだが、やはり1年ものに比べると、衝撃や感動もずいぶんと減退するように思われるのは、こうした理由による。


1815年、マルセイユの一等航海士であるエドモン・ダンテスは、航海中に死んだ船長の遺言で、ナポレオン・ボナパルトの流刑先であるエルバ島に立ち寄る。そこで、ナポレオンの側近のベルトラン大元帥からパリのノワルティエという人物に宛てた手紙を託される。航海から戻ったダンテスは、船長の死に伴い船主から新たな船長への昇格を約束されるが、それを聞いた会計のダングラールは若輩のダンテスの出世をねたみ、ダンテスの隣人のカドルッスに紹介されたダンテスの恋敵のフェルナンに、検事のもとに「ダンテスがミュラからナポレオンあての手紙を委託されてエルバ島に届け、代わりにナポレオンから支持者に向けて送った秘密文書を預かった」という嘘の密告書を届けるようそそのかす。そんなこととは知らないダンテスは婚約者のメルセデスとの結婚式の準備を進めるが、婚約披露のパーティーの最中に逮捕されてしまう。

ダンテスを取り調べたのは検事代理のヴィルフォールだった。ヴィルフォールに対して、ダンテスは「自分はベルトラン大元帥から私的な手紙を預かっただけだ」と託された手紙を見せるが、手紙の宛先であるノワルティエこそ、ヴィルフォールの父親であり、手紙の内容はナポレオン軍の再上陸に備えて準備をすすめるよう命じる命令書であった。「王政復古の世の中において、身内にナポレオン支持者がいることは身の破滅につながる」と考えたヴィルフォールはダンテスを政治犯が収容されるマルセイユ沖のシャトー・ディフ(イフ城)に投獄し、ダンテスが一生牢から出られないように手配する。

シャトー・ディフでダンテスは無為の日々を過ごし、遂には餓死自殺を図るが、やがて隣りの独房に投獄されていたファリア神父という老人と出会う。ダンテスから事情を聞いたファリア神父は「ダングラールとフェルナンが検事に密告し、ヴィルフォールが自己保身のためにダンテスを投獄したのではないか」と教える。ファリア神父のもとで様々な学問を学ぶダンテスだったが、やがてファリア神父は病に倒れ、モンテクリスト島に隠された財宝のありかをダンテスに伝えて死ぬ。

ファリア神父の遺体と入れ替わることによって、シャトー・ディフからの脱獄に成功するダンテスだったが、そのときダンテスは34歳。既に投獄から14年の月日が過ぎていた。

モンテ・クリスト島の財宝を手に入れたダンテスは、やがてイタリアの貴族モンテ・クリスト伯爵と名乗るようになる。そして、独自に調査した結果、ファリア神父の推理が正しいことを知ったダンテスは、今や成功して時の人となっていたダングラール、フェルナン、ヴィルフォールに近づき、自分の富と権力と知恵を使って復讐していく。