馬車郎の私邸

漫画、アニメ、ゲーム、音楽、将棋、プロレス観戦記など「趣味に係るエッセイ・感想・レビュー記事」をお届けします!ある市場関係者のWeb上の私邸

「趣味への傾倒について」

4Gamer.netのコラム男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ / 第65回:「ゲームが上手いって,何?」によいことが書いてあったので、これについて少し思ったことを書く。
DDTの男色ディーノ選手(詳しくはウィキを参照)が、ゲームにハマる子供を心配する親の気持ちについて語っているのだが、なるほど現代の親たちにとってゲームは悩みの種である。

「ゲームしてないで勉強しなさい。」は常套句だし、
今の時代は、据え置きのゲーム機だけではなく、
携帯ゲーム機が飛躍的に進化を遂げ、ケータイにもゲームはついている。
子供たちのゲームへのアクセシビリティは飽和的に高まった時代といえよう。

ファミコン登場は1983年だから、今の若い世代もゲームをやる。
「モンスターハンター」の大流行は記憶に新しい。
このゲームのすごいところはプレイ時間が数百時間単位という点だ。
1000時間を越える猛者も友人の中にいる。
この1000時間というのは日に換算すると、約40日に相当する。

数百時間に渡り同一のゲームをやるなど、さすがに過剰と思えるが
現にこういう人はいる。しかも一人や二人ではない。
「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉は、
彼らの前には意味を成さない。それくらい、のめりこむのだ。

かくいう自分は、比較的低レベルのままどんどん先に進め、
やりこむようなプレイはしたことが無い。
レベル99にしたのはFFタクティクスくらいのものだ。
でも、このゲームはレベルアップまでの経験値が、
各レベルごとに全く同じだから、あまりたいしたことない…

のめりこむ当人をどう見るかは、ネガティブな捉え方が多いだろう。
ゲームにハマる子供を、親が見る視点はたいていそのようなものだ。
男色ディーノ選手の考え方は、様々な点で示唆に富む。

ときに,ゲイムが上手いって,一体どういうことなんだろうかと,ウイイレ 2010を機に考えることが増えたわ。昔,ファミコンに夢中になっていた時代は,楽しいからってだけでゲイムをプレイしていた。
 で,プレイするうちに自然と上手くなっていった。上手くなくても良かった。でも,上手くいくと嬉しいから,上手くなっていった。


ゲームが上手くなるメカニズムは、物事が上手くなるメカニズムと同一である。
ゲームだけが特別に悪いものというわけでもない。
勉強だって、出来るから、点が取れるから楽しいのだ。
上手くなれば嬉しい、嬉しいからさらにやる、やるから上手くなる。
上達のメカニズムは何でも同じなのだ。

ゲイムって不思議ね。ちゃんと学習できてたんじゃない。ただ,学校教育で受ける授業にその情熱が向いてなかっただけ。実は我々って,学習の本質自体はちゃんと幼少期に身に付けられていたのよ。
 そう思うと,あの「ゲイムをするのが悪いこと」という風潮はなんだったのかしら。こんなにゲイムからいっぱい学んでるのに。


子供が熱中するため、親にとってゲームは基本的に忌むべきものである。
「ゲーム脳の恐怖」はその内容が正しいから受け入れられたのではなく、
親たちがゲーム=悪という図式を定着させ、権威付けたいから受け入れられた。
ゲームをいくばくか擁護するような本は、「テレビゲームと癒し(香山リカ著)、岩波書店」ぐらいだったかな。

ただ、昔ファミコンや、スーファミ、プレステに興じた世代が親になっていくわけだから、一方的にゲームが悪いという論調は減っていくと思う。
あくまで自己管理の問題と、距離を置いた見方になっていくのではないか。

まあ,冷静に考えれば,幼少期には覚えておくべきものがいっぱいあって,それらがおろそかになるほどゲイムばっかりプレイするのは,確かに良くない。でも,逆に言えばその部分さえ押さえておけば,忌み嫌うべきものではないわよね,ゲイムって。

「徳とは、我々にとっての中庸に成り立つ行為を選択する態度である。」とアリストテレスも言うように、やはりバランス感覚が大切。
最低限のことをやっていれば、ゲームについて他人にあれこれ
いわれる筋合いはないってのは確かにそうだ。

とは言っても,この歳になったら分かるのよ。保護者の気持ちってやつも。
だってホラ,他人が何かにハマってる姿って,けっこう滑稽じゃない? 滑稽なうちはまだいいんだけど,度を過ぎてハマってしまうと,今度は心配にすらなってしまう。これは大人の世界でもよくある話なわけよ。
で,それが自分の子供だったらって思うと……。まあ,ハマった対象に対して恐怖心を抱くのもなんとなく分かるの。
ゲイムどうこうっていうよりも,我が子がどハマりしているものということで,ゲイムが槍玉に上がってただけじゃないかと。今になって,私はそう考えるようになったわ。


自分の周りにも、何かにハマってる人は多い。
確かに言われてみれば、滑稽に写る部分もあるかもしれないf^^;
ただ、自分の場合だとハマるものを持ってないから、
ハマって幸せそうにしている人を見ると、
むしろうらやましく思えてしまうんだよね。

滑稽どころか、度を過ぎると心配ってのも激しく同意。
ハマりすぎた人の行動は、さながら狂信者のごとき盲執へと変貌する。
「自分の子供だったら~」以下についても、
ウンウンとうなずいてしまった。

だから,禁断の恋は障害が多ければ多いほど逆に燃え上がるように,禁止されればされるほど子供が抱くゲイムへの気持ちが燃え上がっちゃうのね。
この場合,保護者がすべきはハマっている物事に対してどううまく付き合っていくべきかを教え,導くことだと思うわ。と同時に,親のほうがまず,趣味とのうまい付き合い方を考えろって話でもあるんだけどね。
ウン,そう考えるとやっぱ子供いらないわ私。ゲイでよかったゲイ万歳! 


保護者がすべきは(ハマっている)物事に対してどううまく付き合っていくべきかを教え,導く
まさにこれが、教育ですね。
価値観と対処の仕方をしっかり子供の中に形作る。
そして、親自身も同様。

やみくもにダメなものをダメといっても仕方が無い。
色んなものがある中からの選択の一つがゲームであって、
一方的な悪玉論はおかしい。
主体的に選択し、決断し、行動することが出来る人間を作ることが大切である。

したがって、結論は、ゲイでよかったゲイ万歳! 
って、いやいやいや(苦笑)そうじゃないだろf^^;




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