馬車郎の私邸

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「もし浅井長政がマキャベリの『君主論』を読んだら……?」―「浅井長政の決断ー賢愚の岐路」笹沢左保、角川文庫

* 「君主たるものは、政体を保持するために、時に応じて信義に、慈悲心に、人間性に、宗教に背いて行動することが必要なのであり、人間を善良な存在と呼ぶための事項を何もかも守るわけにはいかない」(君主論)

* 「人間は邪悪な存在であり、あなたへの信義を守るはずもないのだから、あなたのほうも他人に信義を守る必要はない」(同上)

* 「何ごとにつけても善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅するしかない」(同上)

* 「一つの悪徳を行使しなくては、政権の存亡にかかわる容易ならざるばあいには、悪徳の評判を受けることを恐れてはならない」(同上)

* 「美徳のように思えるものの後に付いていくと、己の破滅に至ることがあり、悪徳の後に付いていくと、己の安全と繁栄を生み出すことがある」(同上)


こういった、マキャヴェッリの「君主論」の言葉を見るにつけ、その言葉は浅井長政の滅亡が、まさにその具体例であると思える。浅井長政の業績をすこぶる簡単にまとめると、次のようになる。
浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、のちに信長と決裂して戦い、敗れて自害し、浅井氏は滅亡した。

「一つの悪徳を行使しなくては、政権の存亡にかかわる容易ならざるばあいには、悪徳の評判を受けることを恐れてはならない」のだから、いかに信長が条約の条項を無視して無断で朝倉を攻撃したからといって、同盟を捨てる必要は無い。だが、あえて織田信長との同盟を捨ててまで朝倉氏の恩に報いたわけだ。やると決めたらとことんやるべきではあるが、浅井長政はその家臣団の意見を完全に統一できなかった。また、同盟を結んだ朝倉氏はあまり当てにならなかった。

事情はいろいろあったとはいえ、義を選んだ結果、「美徳のように思えるものの後に付いていくと、己の破滅に至ることがあり、悪徳の後に付いていくと、己の安全と繁栄を生み出すことがある」という言葉通りになったのである。


* 「傭兵軍と援軍は、役立たずなうえに危険である。もしも傭兵軍の上に築かれた政体を持つ者は、決して堅固でも安全でもないだろう。なぜならば、そのようなそのような軍備は不統一であり、野心に満ちていて、規律が無く、忠誠心を欠き、味方の前では勇敢だが、敵の前では臆病になり、神を畏れず、人間には不誠実だから。そして攻撃を引き延ばすのは、それだけ敗北を引き延ばすためであり、あなたは平時にあっては彼らに、戦時にあっては敵に、剥奪されるだけなのだから」(同上)

* 「援軍というのは、役に立たない別の軍備のことである」(『君主論』第13章)

* 「勝ちたくないと思う人は、せいぜい外国の支援軍を利用するといい」(同上)

* 「他人の武器というものは、あなたの背中からずり落ちるか、重荷になるか、それともあなたが窮屈を我慢するか、いずれかになるものだ」(同上)


役に立たない援軍に自分の運命を左右されることになった時点で、浅井長政の敗亡はほぼ決まっていた。浅井・朝倉・本願寺・武田・上杉 などの大名家が協力した 「信長包囲網」は、たしかに信長の人生最大の危機のひとつであった。井沢元彦氏も「逆説の日本史」でこの点を深く分析し、浅井長政の判断をある程度認めている。だが、誤算があった。一つは武田信玄の病死であり、二つ目は朝倉義景という人物の愚鈍さであった。結果として、浅井氏は朝倉氏と命運をともにし、滅亡するのである。

「秀れた防衛、確かな防衛、永続的な防衛とは、あなた自身の力によって支えられ、あなたの力量に依存したものであるというだけだ」という言葉が耳に痛く聞こえるであろう。大名としての浅井氏は、結果論としては信長との同盟関係を維持するべきであったようだ。おそらく信長も義弟となった長政を、西部侵攻、そして毛利攻めの司令官として用いようとしていたのではないか。もしそうなっていたら、羽柴秀吉の栄達ももしかしたらなかったかもしれない、少なくとも天下人にはならなかっただろう。

もちろん、どちらの選択が良かったかについては結果論だけから考えてはいけない。反信長包囲網が勝つ可能性はあったのだ。とはいえ、君主にはフォルトゥーナ(fortuna、運命)を引き寄せるだけのヴィルトゥ(技量)が必要であるが、実際の運命は反信長の側には味方しなかった。歴史にIfは禁物といわれるが、過去への反省よりも、考察のほうが有用である。その意味で浅井長政の滅亡は、政治判断についての格好のモデルケースであるといえよう。

また、浅井長政の29歳の生涯は、悲劇としてもうってつけの素材である。その点でも面白い。
戦国時代の名脇役について、誰かとりあえず一人…と言われたら、やはり浅井長政は外せないと思う。