馬車郎の私邸

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「高師直と、評価・処遇制度」

サラリーマンとして働く上で、自分の仕事の成果がどのように評価され、そしてしっかり給与に反映されているかどうかは、誰しも気になるところであろう。このような評価・処遇の制度は、企業が目指す目標や達成したい戦略と、会社員の行動や成果を結びつける機能を担っている。一言で言えば、評価・処遇の制度は、企業という組織が人を動かすための仕組みである。(参考:戦略的人材マネジメントの考え方 第7回:人材の評価・処遇 [守島基博教授])

さて、歴史の中で、このような人を動かす仕組みが重要視されるのは、どのような場面であったか。一つ考えられるのは、なんといっても戦争である。戦争における指揮官は、兵士たちをうまく活用して勝利を達成しなくてはならない。経営者が、人的資源を用いて、企業間の競争において勝ち抜くことと同様である。このアナロジーから、人材マネジメントの源流は、戦争という人類の歴史上最も頻繁に行われてきた行為の中にあるように思われる。

評価・処遇に関連する言葉を、日本の歴史のキーワードから引っ張り出してくるならば、まず思い浮かぶのは御恩と奉公であろう。ご存知のように、将軍が御家人の所領支配を保障し、それに対して御家人は軍役を負担する関係である。このような土地を仲立ちとした主従関係、すなわち封建制度は、日本の幕府という統治形態の重要な基盤であった。この関係性は、会社が従業員に給与という形で働くための基盤を提供し労働を引き出すという、現代の組織と人の関係に通じるところがある。

さらに、評価・処遇を、戦争という具体的な場面にまで推し進めるならば、次に思い出した人物は足利尊氏の執事高師直である。婆娑羅な人物として、「王(天皇)だの、院は必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえ」といった放言や、数々の女性スキャンダルで有名である一方で、武将として当時随一の活躍をした人物であった。その高師直が、武士たちの評価・処遇において、ある重要な改革を成し遂げたのである。それは、分捕切捨の法と呼ばれるものである。

一般に、武士の戦功は、討ち取った敵の首によって量られる。なるほど、家来がいるような身分の高い武士は、家来に首を預ければいいが、そうでない大多数の武士たちは首をその都度持ち帰って軍奉行に首実検をしてもらうか、あるいは首を持ったまま(?)戦うしか無い。これでは、指揮官は戦力を十分に使い切ることはできない。

このような背景のもと、高師直は大規模な合戦の中で軍の機動性を発揮させるため、分捕切捨の法を初めて採用した。これは、戦功確認として斬った敵将の首を一々軍奉行に認定されるまで後生大事に持っているのではなく、近くにいる仲間に確認してもらったらすぐその場に捨てよという、当時としては画期的であると評される軍令で、師直の合理主義者的側面を証明する実例とされる。(wikipedeiaより)

この分捕切捨の法は、あえてこじつけるならば、軍奉行という評価の専門部署だけではなく、同僚によって評価されるという点で、いわゆる360度評価の要素を含んでいる。また、軍奉行を人事部とみなすなら、仕事の評価が現場から遠い人事部によって査定されるために非効率な事態を招いているところを、現場での評価を付け加えることにより、非効率性をいくらか緩和することに奏功しているとも解釈できる。

このように、戦功=首という単純かつ定量的・客観的な評価を行い、それに対して処遇を行う事例でさえ、なかなかに難儀なのである。定性的な評価を(誰が)どのようにして行うか、それをどのように処遇に結びつけるか、はたまた定性的な評価・処遇と定量的な評価・処遇をどのように組み合わせるか。いつの時代も、人を動かすために、どのように評価・処遇を行うかは重要なテーマである。しかも、それは金銭のみによって行われるわけでもない。人は勘定だけではなく、感情によっても動くからである。心を持つ"人"という存在を考える上で、人の紡いできた歴史と、現代の経営事例の双方を結びつけるストーリーがあれば、面白そうである。