馬車郎の私邸

漫画、アニメ、ゲーム、音楽、将棋、プロレス観戦記など「趣味に係るエッセイ・感想・レビュー記事」をお届けします!ある市場関係者のWeb上の私邸

告白はキレ、プロポーズはコクが肝心―20代のサミング・アップと、私の月と六ペンス

告白はキレ、プロポーズはコクが肝心である。好きな人に告白するのも、結婚のためプロポーズするのも人生の一大事だ。ただし、恋愛は失敗しても他の人でやり直しが効くかもしれないし、次に生かせることもあろう。しかし、結婚はより社会的かつ長期的な関係であるため、なるべく失敗は避けたい。したがって、前者の場合はある程度割り切ってスピード感を重視し、後者の場合はより着実な土台を作り、下準備をした上で確度の高い状態で臨みたい。私の場合は、人生において初恋の際に2回の告白、後に妻に対しては告白の役割を果たす合意を1回、プロポーズを示唆する発言を1回行った。

交際の申し込みは必ずしも告白である必要はない。すでにうまい具合に仲良くなっている場合は、意思確認、追認という色彩でもよかろう。とはいえ、そのような自然な場合は良いが、一方で相手の気持ちが読めない場合は、勇気ひとつあれば当座の白黒は付く。告白の成否を決めるのは、あなたのスペックや個性、相手との人間関係、TPOや文脈、言葉の選択や表現の仕方などさまざまな要素が複合的に組み合わされるため、読みにくい。まして、恋は盲目なのだから、なおさら事前に冷静かつ客観的にその成否を吟味することは難しいだろう。

告白の成否において、量子力学における思考実験「シュレーディンガーの猫」がたとえとして参考になるだろう。すなわち、我々は経験上、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という二つの状態を認識することができるが、このような重なりあった状態を認識することはない。これが科学的に大きな問題となるのは、たとえ実際に妥当な手法を用いて実験を行ったとしても、観測して得られた実験結果は既に出た結果であり、本当に知りたいことである観測の影響を受ける前の状態ではないため、実験結果そのものには意味がなく、検証のしようがないということである。

マキャヴェッリの言葉を借りて、告白という決断を応援してもらうなら、「危険を伴わずに、偉大なことは何も成し遂げられなかった」のだし「運命は我々の行動の半分を支配し、残りの半分を我々自身にゆだねている」以上は、「好機というものは、すぐさま捕まえないと逃げ去ってしまうものである」。したがって、「運命の女神は、積極果敢な行動をとる人間に味方する」と信じて、「決断に手間取ることは、これまた常に有害である」と見て、「必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じといってよい」のだ。

さらに、リクルートブライダル総研の調査によると「恋愛・結婚調査2017」にて20代~40代の未婚者の「交際の開始方法」について分析した結果、興味深いデータが得られた模様だ。恋人と付き合う際にどちらから告白したかについて、女性の場合は「自分から告白した」が11.2% 、「相手から告白された(自分も相手が好きだった)」が42.7% の一方で、「相手から告白された(自分は特に相手のことを意識していなかった)」が実に26.7% にも及ぶのである。すなわち、調査結果を踏まえると、両思いの状況や文脈がないとしても、交際に至ったカップルのうち4分の1の女性は相手からの告白によって交際を始めるのである。意外にも柔軟に対処してくれるようだ。男性諸兄はもっと勇気を出してみるべきではないか。

したがって、私はあえてキレを重視したカウンター・奇襲作戦をお勧めする。株式投資と同じで、時には「エイヤッ!」と行くべき時がある。買った銘柄がどのくらい上がるか、下がるかは事前に観測し得ない。告白の結果、上手く付き合えるかどうか、その後の関係が良い具合に進展するかはいくら考えても仮説は得られたとしても、先取りして結論を得ることはできないのだ。ウジウジ考えて理路整然と間違うくらいなら、いっそのこと勇気ひとつを友にして、運命を天に任せるほうが良い。

大学1年生の頃、同じ第一文学部で、文芸専修の2学年上の先輩に心惹かれていた。その奔放な趣味への耽溺ぶり、人とは一線を画すユニークな考え方などきわめて多数の要因から惹かれたのだろう。3男1女ならともかく、1男3女の組み合わせは一見分が悪く、しかも超上級レベルの腐女子でもあり、かなり難しい相手であることは間違いなかった。しかし、初恋なのだ。男児たるもの思いの一端さえを伝えずに敬して遠ざけるのはあまりに虚しい。意を決してだめでもともと、と思うことにした。結婚報告の際のエッセイに書いたとおり、当時私はサークルに入った経緯から重大な誤解を受けておりTさんが好きだと思われていた。そこで、この誤解を利用したカウンター作戦を思いつき、懐に秘めていた。覚悟は決めた、後はタイミングだ。

実は、サークルでは過去に恋愛関係をめぐるイザコザがあったため、私の上の学年で大量離脱が発生していた事情があった。したがって、外形的に見て3人もの男がTさんをめぐって争う状況を、女帝の異名をとるこの元幹事長が看過するはずがないと見込んだ。幹事長を退いたばかりの3年生の冬だから、就職活動を本格化する前に、サークルの行く末について不穏な芽はつぶしておきたいところだろう。うち1人は私の告発によって追放され、脱落している。今や一騎打ちの様相(全然そんなことはないのに)なのだから、好奇心からもサークルの帰趨からも、きっとこの点について問いただしてくる機会はあるはずだ……と。

こうして、チャンスは思いがけず、訪れた。馬場歩き(早稲田のキャンパスから高田馬場駅まで早稲田通りを歩くこと)で一緒に帰る際に、花まるうどん(後に吉野家の現社長になる前の当時の花まるうどんの社長にお会いしたり、吉野家から内定をいただくのは先の話だ)に寄り、自然な流れで夕食をとることになった。時は来た。

「君はTさんが好きなのか?」
「好きな人は先輩です!」
ほぼ予想していなかったらしく(偶然何かの機会に手を差し伸べたときに指と指が絡まったことがあった際に、若干感づいてはいたらしいが)、困惑しながらも、素直な好意には喜んでくれたらしく、"試用期間"という体裁ながら交際が始まった。事前の目算を考慮すれば、十分な成果といえよう。

とても楽しい時間をすごすことは出来た。「しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は ものや思ふと 人の問ふまで」(平兼盛、百人一首40番、『拾遺集』恋一・622)のような状態でオーラが出ていると周りからは言われていた。しかし、善戦はしたものの、長続きはしなかった。不徳のいたすところで力量不足もあり、大学2年生の夏にあえなく振られてしまった。就活を終えて某2.5次元ミュージカルへの傾倒が激しくなり、時に大阪などへ遠征することもあれば、役者の出演舞台への参戦、そして生ものの領域への進出など、その勢いがとどまることを知らないため、私は焦りを覚えたのだ。ある時チクりとちょっとした嫌味を言ってしまった気がする。相手の趣味に嫉妬したところで、趣味に勝てるはずもないのに。

だが、意外なことに、振られた時にも後から見ればカウンター作戦が時間差で奏功していた。
「ごめん、君のことはやっぱり可愛い後輩だよ」
「なら、たっぷり可愛がってくださいね!」
苦し紛れながらも、どうにか当意即妙の返し技が出たのは僥倖だったが……衝撃は大きく、よほど思いつめた顔をしていたらしく、去り際に「電車に飛び込んじゃだめよ」と釘を刺されたため、むしろウェルテルよろしく、飛び込んでやろうか!と思わないでもなかった。「初恋とゲーテ」の記事でも書いたように、私の恋愛観は少女マンガと古典文学作品に影響されているのは否めない。

この良く言えば反撃の一手、悪く言えば捨て台詞とも言える言葉が楔を打ち込んだおかげで縁が切れなかったため、卒業したこの先輩と意外にも友人関係が続いたのだ。肩の荷が下りて、気負いもなくなった結果、むしろリラックスして気軽におしゃべりができるようになった。今はなくなってしまったが、新宿のTSUTAYAのビルの7Fにあった麻布茶房(とにかく店員さんがお茶のおかわりをすぐに継ぎ足してくれる)で、話が弾みすぎて5時間居座ったことさえあったくらいだ。

とはいえ、失恋の痛手は大きく、ストア哲学の助けなくばとても立ち直れなかっただろう。また、「実体験で語る声優養成所に通う7つのメリット」で書いた2歳年下の女の子との"交友"が傷を癒してくれたことも大きい。その件を後で報告すると、件の先輩は「そのくらい私のことを思ってくれたのは嬉しいが、いくらなんでも可哀想だと思うぞ」、後に妻となる友人からは「女に恥をかかせるのか」「お前の生殖能力を疑う」とのさらに手厳しい言葉をいただいた。人の気持ちを汲み取り応えることを脇において、初恋に殉じるのは、自身の美学という名のエゴに酔っている面もあったかもしれない。しかし、エゴ・感情を理性で主体的に選び取ったとも考えられる。

理性によって、成り行きに身を任せるという感情に打ち勝つことで、私は当初の恋愛感情を維持した。矛盾めいた多層的な理性と感情の相克があっても―ある種の自己欺瞞と言えなくもないが―結果的には、貫き通してしまえば本物だ。そうして、捲土重来というわけでもないが、2回目の告白につながった。

それは、大学4年生の秋だった。場所は、池袋東口のサンシャイン方面に向かう5差路のビルにある、カルパッチョが美味しい洋食居酒屋だ(初か、2、3回目のデートのどれかでも行ったお店だったような気がしたので、たぶん気に入ってたのだろう)。

「なかなか良い人がいないのよね」
「立候補していいですか!」
キレ味鋭く、すかさず言い切ったのが良かったのか、「その意気や良し」と思ってくれたらしく、2回目のチャレンジは奏功した。戸惑わせてしまった1回目とは異なり、「不束者だけどこちらこそよろしく」「臆病で欲張りでオタクだけど愛想が尽きるまでは好きでいてくれたら嬉しい」と望外の言葉で返してもらった。

美点も欠点も愛する一方で、結局のところ、私に差し出せるものはまっすぐな愛、勇気、献身といったものくらいしかなかったのだ。当初にもかけてくれた「いつか私が甘えられるくらいに良い男になってね」との言葉は、私にサミュエル・スマイルズの「自助論」以上に、向上心を植えつけてくれたから、励みにした。しかし、冷静に振り返るならば、私の人格の成長は先方の要求水準に追いつくことはなかったといえよう。

悲しいことに2回目は自然消滅という、1回目の単なる失恋以上に無残な結末が待っていた。上記のマキャヴェッリの言葉を借りて言うならば「人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷付けるものである」。リーマンショックのあおりを受けて、私の学年はなかなか内定をもらえず(上記の吉野家や、後に新規上場するニュートン・フィナンシャル・コンサルティングという会社に10月を過ぎて内定をもらった)やむなくMBAに進学することにしたのだが、入学してほどなく互いに音信が途絶えたのだった。心配で気もそぞろ、心中穏やかでないなか、社会人経験もなしに第一文学部の西洋史学専修という畑違いもいいところからMBAに入学したのだから、当然ながら膨大な課題やグループワークに明け暮れて苦労していた。

後に妻となる友人とは大学卒業後も2、3ヶ月に1回は友達付き合いとして会っていたが、それは単なる友達付き合いにとどまっていたため、心の支えになるほどだったかというと疑わしい。前述のストア哲学関連の本に加え、バートランド・ラッセルの「幸福論」やサマセット・モームの数々の含蓄深い小説のほうが精神の安定のためにはずっと役立ったように思える。

ただ、気晴らしにはなったのは確かだろうし、話を聞いてくれたのはありがたいと思った。かつて大学時代には、書庫のある家に住んでみたいという点で合意しており、30歳になるまでにお互いにふさわしい相手がいなければ結婚してもいいのではないかという点で一致した見解を有していた。何よりこの友人というのは、ある時の会話のなかでその先輩が推薦してくれた人物でもあり、奇しくも自分の年次で幹事長を務めていた。ある程度の相性の良さという点では自他ともに悪くないと見られていた。

言うなれば、頭で考えた時の正解の選択肢、なのである。後に結婚した時、専ら妥当であり、何ら意外感はない組み合わせであるというのが衆目一致した友人たちの評だった。したがって、有る希望が無くなれば、理想から現実に根ざして真に依拠できる関係を模索するのも自然な展開である。感情を抑えて、理性で人生の方向性を模索するのはやむを得なかったのだと言って差し支えないだろう。

3回目と数えるのが適切かどうかはわからないが、MBA2年の冬から先輩と再び音信が回復した。楽しいおしゃべりがまたできるようになったのは純粋にとても嬉しかった。ただ、後で聞いたところによると、相手の辛い時に力になれなかった模様で、どうして頼ってくれなかったのか、いや、頼ってもらえなかったのかと自責の念に駆られるばかりだった。頼ってもらうことさえできない彼氏など、何のための彼氏なのだろうか。いっそのこと、他に好きな人ができたとかのほうが、よっぽど納得がいって楽だったろうに。結局のところ私は、人生を任せてもいいと思ってもらえるだけの人間になることができなかったのだ。

サマセット・モームの「月と六ペンス」の主人公ストリックランドは、証券仲買人から突如として家族を捨て、画家に転じて命と引き換えに大作を描きあげてみせた。私はと言うと証券仲買人、要するに証券会社の営業マンの職を得て、大阪の難波支店に配属された。社会人になるタイミングは人生の展望を考えるのにふさわしい時期だ。有るどうかもわからない希望よりも、緩やかな進み方であっても着実に積み上げた関係のもと、真に衣食住を希求できる現実的な関係を発展させるほうが、幸福を築く母体となると考えた。シンプルに言い換えると、月と六ペンスならば、六ペンスをとったのだ。

そのことを報告した時、先輩は寛大にも祝福してくれた。笑顔で言ってくれた言葉が忘れられない。「もう。私、婚期逃しちゃったじゃないの」。冗談めかして、あのいつもの時折見せる愛しい茶目っ気を湛えた表情と声。だが、目は一方で笑ってはいなかったようにも見えた。言葉は多義的だ。文字通りの意味で困ったために言った言葉だったのか。あるいは良い奴を逃してしまったと示唆することで褒めてくれた鷹揚なリップサービスだったのか。それとも、月と六ペンスならば、六ペンスを取るような選択をし、願いを捨てて現実的な方面に向かった私に、思うところあって非難と糾弾をこめて言ったのか。他の意味があるのか。一つでなく複数の意味があるのか。実は深い意味がないのか。

胸に響く悲しみは避けられない後悔なのだろう。光永亮太 「ALWAYS」の歌詞のサビを借りて表現するとそのままだ。「どれだけ精一杯手を伸ばしても 届かないものもあると教えられたけど 願えば誰でもひとつは叶うよ 無理に答えを出しては 灯した火を消さないように」。この決断は早まったようにも見えるが、結果から見れば実際のところ功を奏したのだろう。だが、戦略とは、何かを捨てて何かを得ることだ。後悔はするとわかっていても、断腸の思いで熟慮の末に下した理性的な決断の代償に、一生向き合って生きていかねばならない。

告白はキレ、プロポーズはコクが肝心、というタイトルで書く予定だったのに、それを取り巻く感情の流れと文脈の描写にばかりこだわってしまったから、ここからはオマケだ。プロポーズはコクが肝心、という対句にするためにとってつけたような牽強付会で筆を置くことにする。

コクには明確な定義はない。コクがあるとは、いくつもの味の成分が絡み合い、味わいが複雑で厚みがあることを概ね指しているようだ。妻とは、基本的には友情を深化させていた結果、結婚に至ったのであって、ドラマティックな大恋愛はなかった。一足飛びに関係を進めるのは本意でもなかったし、そうすることでうまくいくとも思えなかった。そのため、持久戦に持ち込むのが良策と考え、じっくりと攻めるのが肝要だと考えた(後に妻が言うには、いったいお前は何なんだ、貴重な原稿を描く時間を割かせてまで会う約束を取り付けようとするとはどういう了見だ、とイライラしていたらしい。意識させる作戦は成功だ)。

社会人の1年目、赤坂の3百円居酒屋でピータンをつまみながら「末永くよろしくお願いします」的なことを互いに言い合い、明示的ではない暗黙の合意を結んだのが、形式的には付き合い始めた日ということになる。上記の告白のようなキレはなく、具体的かつ決定的な言葉があったわけではない。曖昧模糊としているが、心が通じ合うという形而上的、抽象的な状況が生じたのは確かだ。そうした点で、どことなくコクのある会話をしたようにも思う。

プロポーズ、いや、正確にはプロポーズを示唆する発言で結婚は決まった。すなわち、「大阪来いよ」の一言だ。簡潔だが余韻があるという点では、コクがある言葉かもしれない。短いが味わいのある言葉で実質的にプロポーズができたらいいなとは思っていたが、自然と口にできたので、結果という観点からも言霊は役目を果たした。南海電車を途中下車して、堺駅の三菱東京UFJ銀行の前で電話をかけ直した際に、こうした言葉で約定したため、先輩方からは注文伝票の表記になぞらえて、「勧誘なし・電話受注」と揶揄されたものだ。後日、あらためて大阪梅田にある"丸ビル"(丸の内のそれと違い、文字通り丸いのだ)の夜景が綺麗なレストランで、合意確認ないし追認の意味で、プロポーズをした。注文は、全部出来で約定だ。

人が生きていくには月よりも六ペンスのほうが大切だ。月は西洋では狂気の象徴でもある。「月が綺麗ですね」は「I love you.」の意で訳されるとの話は有名だが、「Ich liebe dich.」と刻まれたプリザーブドフラワー付きのガラスの靴を、誕生日のプレゼントに送ったところ、珍しくとても可愛らしい反応で喜んでくれた。結婚指輪には「dem weg gemeinsam gehen(ともに道を歩む)」と彫ることにした。とはいえ、サミング・アップ、要約すると、美しい月を見上げなければ、現実に目を落として六ペンスを拾うことさえできなかったのだ。

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