馬車郎の私邸

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鎌倉幕府で弘安の役の年までに元を滅ぼす!【チンギス・ハーン蒼き狼と白き牝鹿4PUK プレイレポ】

「チンギス・ハーン蒼き狼と白き牝鹿4withパワーアップキット」というPCゲームがあります。1999年発売ですからかれこれ16年経っており、残念ながら続編が出ていないです。しかし、不思議な中毒性と独特の味わいがある深いゲームですので、何度やっても飽きが来ません。同じKOEIの三国志や信長の野望が好きな人は間違いなくはまれるでしょう。一言で言うと、箱庭内政しながら、外交や間諜を使い、軍隊を編成し戦争し世界制覇を目指す!(ただし舞台はユーラシア大陸全部!)そんなゲームです。世界史好きにはたまりません。ちょっとしたリプレイレポートを書きながら紹介してみたいと思います。

今回は、シナリオ2「1271年蒼き狼の末裔たち」の鎌倉幕府でプレイ開始。このゲーム、下記の写真の通り(クリックすると大きくなります)、東は日本、西はヨーロッパまでありとあらゆる国でプレイ可能です。世界史の教科書の隅に載っているマイナーな国家でプレイするのも乙なのですが、まずここは私達が暮らす日本で始めてみましょう。

シナリオ1「1189年草原を駆ける狼」は源頼朝・源義経・武蔵坊弁慶・那須与一などがおり、大陸もまだ群雄割拠でスタート時の戦力も各自ほぼ1都市ずつの国家が多いため、スタート時の差が小さいです。しかし、シナリオ2「1271年蒼き狼の末裔たち」では、元がすでに5つの都市を保有し、人材は綺羅星のごとくです。南宋はすでに滅亡寸前であり、1274年・1281年がそれぞれ文永・弘安の役、いわゆる元寇が迫っているような状況ですから、危機的状況です。そこで今回の目的は1281年までに元を滅亡させるという若干チャレンジングな目標でプレイします。
1271


Takezaki_Suenagaこのゲームでの鎌倉幕府の立ち位置はやりやすい方に属します。モンゴルのチンギスハーンが主役なので、騎兵、中でも弓も使える弓騎兵がある国の方が戦闘においては相対的に強いからです。(古代においてもローマの重装歩兵部隊は、ペルシアの弓騎兵に苦戦することがありましたね。)鎌倉幕府には流鏑馬で鍛えている(?)武士がいます。そういえば和弓も強力だったと言われています。ただし、日本は国土が狭く、文化のレベルも低いので内政を充実させた時の恩恵が受けにくいです。よって、早めに大陸進出を急ぐのがいいと思います。(もちろんまったりプレイも楽しいです。プレイの自由度が高いのもこのゲームの魅力です。)

鎌倉幕府の執権(このゲームでは国王の扱い)北条時宗の戦闘の能力値は82であり、突撃・連射・伏兵の戦闘特技を持っています。また、竹崎季長(学校で習うあの絵の人です!)の戦闘能力は81、「機動」、「突撃」の戦闘特技があります。この2人ならば、滅亡寸前の南宋に先制攻撃をかければ、元に対抗できる橋頭堡を作ることができます。

鎌倉幕府は平泉・鎌倉・太宰府の3都市があるので、さっそく北条時宗や戦闘能力が高い御家人を太宰府に集結します。将軍だけ移動するではなく、武士団ごと移動です。内政については都市間の交易を行うために街道を整備し、施設は田畑をたくさん作ります。後に後背地として食料補給基地にするためです。
こんな感じ↓(クリックすると大きくなります)
1275年春 日本


プレイ開始2年、1273年北条時宗の武士5000人、親族の北条宗政の武士4000人、竹崎季長3000人で出撃。(このように国王と息子たち王族は5000名、兄弟など親族や婿将軍は4000人、普通の将軍は3000人を統率可能です。)朝鮮半島の高麗は無視し、臨安に向かいます。南宋の首都・臨安には海を隔てているとはいえ2ターンで到着します。南宋の皇帝度宗(たくそう)は、外戚・賈似道の傀儡であり、能力は戦闘34・智謀8と極端に能力が低いため、これだけの軍勢であればある程度余裕を持って勝てます。

こうして、1273年 春 南宋の臨安を攻略・占領し、大陸進出の足がかりにできました。この時に史実では最期まで元に反抗した名将 張世傑文天祥も降伏し、鎌倉幕府の御家人と化します。この2人がいれば頼もしい限り。もはや南宋には呂文煥以外人材がおらず、夏には南の泉州、秋には西の襄陽を攻略し、南宋は滅亡しました。

臨安と元の首都・大都は目と鼻の先。ユニットが2ターンで到着するくらいの近さです。早急にフビライ・ハーンと戦う準備をしないと危険です。元が支配する成都から攻撃を受ける可能性が高いため、襄陽を廃都にします。(ほうっておくとコンピュータが都市をやけに大量に作りますがパワーアップキットはこの廃都コマンドがあるのであまりストレスがかかりません。)泉州もありったけの兵糧・金・兵士を臨安に持ってきて廃都します。とにかく臨安に全兵力を集結するのです。

内政においても9割の人材を集め、田畑・武器工房・大学を作ります。田畑からの収入が2倍になり旱魃や寒波による凶作にならないため「穀倉の都」、軍隊の攻撃力が上がる「武具の都」、優秀な将軍を登用するため「学問の都」を目指すためです。臨安は各種文化がとても高いため、これらの称号を得るのは容易いです。とはいえ、急ぐ必要があります。将軍の政治能力や内政能力はあるに越したことはありません。しかし、頭数のほうが大切です。(逆に戦闘は将軍の質のほうも大切です。)

また、元の国力がこれ以上増強されるのを防ぐため、大都で施設を建造する労働ユニットの将軍を都度襲撃します。調子に乗っているとさすが元の蒙古騎兵が出てきて攻撃されますが、1対1ではとても適わないので、3人程度の将軍の部隊(3000×3)で戦えば、元の猛将相手でもしっかり勝てます。

この過程で元の名将バヤンを捕らえることに成功しました。戦闘95・智謀86だけあって、こちらにもかなりの犠牲が出ました。「ぜひとも臣下に加えたい!(by曹操)」ところですが、さすがに忠誠心篤く登用は拒まれます。解放すると、いずれまた戦場で相まみえる事になってしまうので斬首を選びます。
1274年盛夏 バヤン


武器文化を高めて得られる火砲兵は間に合いませんが「兵は拙速を尊ぶ」ということで大都攻略戦を開始します。1275年を迎え、北条時宗、北条宗政、竹崎季長、張世傑、文天祥、賈似道ら総勢21000の大軍で大都を包囲。4部隊による2回の包囲攻撃により、フビライ・ハーンが守る大都の攻略にいよいよ成功します。
1275年秋 大都陥落


戦闘の結果都市の規模が大きく下がり小都(?)となってしまった大都を再興すべく、降将たちを内政に従事させる。元のモンゴルの本拠地カラコルムを攻めるための大部隊を編成するためです。内政しながら、機動力のある武士や狩猟騎兵の部隊を、騎兵が編成できない諸都市に派遣します。1276年 盛夏 元の会寧を攻略、1277年 夏 高麗の開城を攻略、1278年 新春 には元の敦煌、成都を攻略に成功。残る都市はモンゴルの奥地カラコルムのみ。

1278年後半より、大都から大軍勢を派遣しカラコルム遠征に進発します。迎撃に出て来るモンゴル騎兵と闘いながら、なんとかカラコルム包囲に成功しました。迎撃軍を編成するのにお金・兵糧・兵士をたくさん使ってしまい収入も0になってしまった元に対し、鎌倉幕府は補給も充実。包囲戦による兵糧攻めを行います。
1279年秋 カラコルム包囲


増援部隊もたくさん連れて来て、波状攻撃を開始。何度か攻撃するも勇将スブタイの孫アジュの戦闘の能力値は84もあり、凡将が攻撃しても勇猛な蒙古騎兵の前に蹴散らされてしまいました。
1280年冬 カラコルム


カラコルムの兵力補給能力は弱まっており、1281年 盛夏 、ついに北条時宗、北条宗政、竹崎季長、張世傑の精鋭部隊15000による総攻撃を敢行。
1281年盛夏 カラコルム

とうとう元のカラコルムを攻略し、元は滅亡。1281年までという目標をなんとか果たしました。
1281年盛夏 元滅亡

今後はもちろん世界制覇を目指すこともできますが、目標をひとまず達成しましたので、一度筆を置きます。
自分なりの目標・テーマを定めてやってみると色々楽しいです。激動ユーラシアのホームページには個性豊かなリプレイが載っています。次はヨーロッパの国でのリプレイを書いてみたいと思いますので、お楽しみに。
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