馬車郎の私邸

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酒井まゆ「シュガー*ソルジャー」第1巻、2巻、3巻、集英社

かっこいいメルアドの教え方として一時Twitterに
出回ってた画像の出典はこの作品だったりします。
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あらすじをざっくりまとめると、2歳上の読者モデルを姉に持つ主人公如月真琴のコンプレックスと日々の逡巡を描きつつ、そんな主人公には文字どおり王子様に見えてしまうくらい振る舞いがカッコイイ入谷瞬とその仲間たちのラブコメです。

要するに、王道。
「ロッキン☆ヘブン」とノリは似ていて、学校を舞台にした正統派りぼんの漫画です。酒井先生の場合、突飛な仕掛けよりも、正攻法で描いたほうが、マンガとしては読み応えがあるかもしれない。「MOMO」もファンタジーのギミック以外の部分が、むしろおもしろかったように記憶しています。

絵柄は、トーンをふんだんに使ってふんわりした基調に、ところどころにデフォルメもくわえて味付けしていて、テンポよいスタイルで読みやすいです。入谷君が万能すぎて、そもそも主人公の恋は望み薄なのだけど、しかし距離の近さはあるので、もしかして…!?と期待をつい抱いてしまう。ひたむきな主人公に好感が持てるし、応援したくもなります。

最初の障害は、姉が一度入谷君とお知り合いになってしまったことですが、それはさておき、第二の障害にあらわれたのは、入谷君と双璧をなす西棟の王子さま遊佐君であった。普通は女の子の恋敵を登場させるだろうに。さて、この遊佐君、「まったく入谷は、誰でも彼でもやさしくするから馬鹿な女が勘違いする」。主人公の恋路を妨害に現れます。そのうえ屋上で、柵を背後に立つ入谷君に「……好きなのかよ、あの女のこと!あーゆう欲がなさそうなのが一番したたかなんだって!騙されんなよ!」と血相を変えて迫る様、鬼気迫る形相です。

「この人…こんなに邪魔してきて、入谷くんも前に彼女作らないとか言ってたし まさか2人は…!?」あろうことか、主人公まで「いやないない」と否定しつつも妄想し始める始末。真琴と遊佐君は最終的に和解するのだけど、結論としては「この人もこの人なりのやり方で入谷君のことが好きなんだ(意味深)」といった趣旨で納得する主人公。このブログで初めて書いたりぼん感想にあるとおり、早稲田大学少女漫画研究会の面々と協議の結果、親子の感動の和解シーンがBL認定されてしまったのはいい思い出(?)です。ちなみに、3巻の柱には「今ちょっと描きたいネタがあるのですが、主人公が青年二人♂なのでどーしたものかと思ってるところです。BLじゃないっす(笑)」などと酒井先生のコメントがあります。「クレマチカ靴店」のようなジャンプSQ出張の折に、一度その種の風味で描いて欲しい。

3巻では海に行ったり、縁日に行ったり、主人公御一行様のリア充っぷりが眩しい。いよいよこの機に、意を決して真琴は入谷君に告白するも、意外な回答が。彼曰わく、「相手が何を望んでいるのか、どう言われたいのか、計算してしか人とかかわることができない。君が見ている自分は偽物なのだ。」1巻での中二病セリフのナチュラルな解読は、実は伏線だったことに初めて気づきます。

自分が思う自分と、相手から見える自分が同一であることはありえないです。でも、それは自然なことで、そうしたギャップが著しく乖離してなければもちろん問題はないでしょう。けれども、特に恋愛の場合には相手に良く見えるようになりたいという思いや、または相手の恋心による過大評価があるために、往々にして彼我のギャップが大きくなりやすく、相互理解は妨げられる場合があります。

どうやって歩み寄るか、互いのことを分かり合うかは人それぞれだろうし、まさにフィーリングの一言で馬が合うカップルもあるでしょう。長年の友人関係の延長で付き合うならば、この種の問題を軽減できるのかもしれないですね。しかし、たとえそうだとしても、結婚して始終一緒になれば相手の違った面が見えてきて、「昔はこんな人じゃなかったのに…」ということにもなりかねないというのも、悩ましいところ。

 

以上のことを考えると、「ソードアート・オンライン」で、「結婚して相手の隠れた面が見えたらどう思うか。」という問いに対して、キリトがアスナに言った結婚観は興味深いです。「ラッキーだったって思うかな?だって結婚するってことはそれまで見えてた部分はもう好きになってるってことだろ。だから、その後に新しい面に気づいて、そこも好きになったら2倍じゃないですか。」良くない面が見えた際のことについて、答えを回避しているのがずるいけれども、これくらい前向きに思っておくのがちょうどいいのかもしれない。サン・テグジュペリの「愛はお互いをみつめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」という言葉も示唆に富んでいて、役に立ちそうな考え方です。