馬車郎の私邸

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「バトル漫画において敵の強さをどのように示すかについて-マグマ風呂の事例-」

漫画のストーリーは、問題やイベントの発生により進展する。典型的には、少年漫画の場合はたとえば新たな強敵の登場、少女漫画の場合はたとえば新たな恋敵の登場といった具合だ。

とりわけ、バトル漫画における敵の強さの示し方は重要だ。ただ、戦うのでは味気ない。RPGで考えれば、特に因縁のない、その辺を徘徊している敵に遭遇するのと、魔王バラモスにいざ挑まん!というのでは、雲泥の差があるのがお分かりだろう。この先どうなるのかという読者の期待を膨らませることで、いざ対決!となる前に盛り上げておき、相まみえた際に、よりドラマティックに演出する下準備をしておく必要がある。

さて、敵の強さの示し方には、直接的なアプローチと間接的なアプローチがある。
直接的なアプローチとしては、「肉体的な強さ、新しい技や、能力、武器を持っているor手に入れる。」といった描写が考えられる。敵がどんな風に強いか、強くなったかを絵や文字で示すのだ。絵柄で単純に、こいつかっこいい!強そう!(or面妖で不気味だ、得体が知れない)と感じさせるも良し、能力や設定を字で示しどうやったらこんなやつ勝てるんだよと考えさせるも良し。強敵が「フハハハ、新たな奥義をついに身につけたぞ!」と恐るべき新技を手に入れたことを示すも良し。

また、間接的なアプローチとしては、主人公の仲間、ないしはかつての強敵が倒されるといったイベントを幕間に挿入することや、あるいは敵が抱えている事情や動機、背景を回想シーンなどで描写しておくといった手法があげられる。主人公の目を離れた所で客観的に、すなわち読者に対して、決戦を前に盛り上げるための仕掛けを用意しておくのだ。プロレスで言うところのアングル(試合展開やリング外の抗争などに関して前もってそれが決められていた仕掛け、段取りや筋書き)である。

ここで一つ事例をあげてみよう。「ダイの大冒険」の魔軍司令ハドラーは。度々主人公の勇者ダイの前に立ちふさがり、幾度にもわたりパワーアップし、ついには作中でも指折りの人格的な成長を遂げた敵役だ。

作中でのパワーアップ描写は多岐にわたる。ベギラゴンや超魔爆炎覇の習得、覇者の剣を右腕に内蔵、超魔生物化。そして何よりも、保身に汲々とし、残酷な性格から、武人としての人格への精神的成長。そのような描写の中でも、次のようなさりげない描写が心憎い。

それは、マグマ風呂の入浴である。

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入浴中に悠然と部下の報告を受ける様子をさらっと描いているのが、なんとも言えない可笑しみを感じさせつつも、こいつすげぇ…と思わせる。たしか、2巻か3巻くらいの最初期の頃のシーンだと思うが、なかなか斬新な描写だ。

「家庭教師ヒットマンREBORN!」にも25巻にも実はマグマ風呂が登場している。入浴しているのは、真6弔花の1人ザクロだ。白蘭に忠誠の証を示す為に、生まれ故郷を焼き払い皆殺しにしたという、なかなかとんでもない奴だ。

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一見同じような描写だが、ハドラーの入浴シーンと違う点は、主人公ご一行がこの様子を直接見ていることだ。
「口笛を吹いてる!!マ…マグマの風呂に入っているというのか!!」など、リアクションのセリフがついている。だけど、なぜだろう。「リボーン」のほうはどことなくギャグシーンに見えてしまったのだ。

6弔花の裏に実は、秘密の精鋭の真6弔花が出てきたという緊迫したシーンの中にもかかわらず、残酷なことをしでかしたばかりのはずの敵幹部が入浴しており、唐突にどことなくユーモラスな描写が出てきたように見えてしまったからかもしれない。獄寺達のリアクションもどちらかというとツッコミに見えてしまうのは、リボーンはそもそもはギャグ漫画だったという先入観があるからだろうか。その次のページには、6弔花にはそれぞれ5000人ずつの部下と選りすぐりのAランクの兵士100人ずつが与えられているということが明かされるが、いかにも大げさで、ケレン味たっぷりだ。

似た描写だとしても、それを周りの登場人物がどう捉えるか、どういったキャラがその描写をされているのか、どのような文脈の中でその描写がなされているのかによって、読者が受ける印象は変わる。そうした表現の難しさをマグマ風呂の事例は教えてくれるのだ。