馬車郎の私邸

漫画、アニメ、ゲーム、音楽、将棋、プロレス観戦記など「趣味に係るエッセイ・感想・レビュー記事」をお届けします!ある市場関係者のWeb上の私邸

「初恋とゲーテ」

ふとパラパラと「ゲーテ格言集」をめくっていたら、意外と自分は彼の言葉に影響を受けていたことに思い当たる。これでも、戸山女子大学……もとい、早稲田の第一文学部の端くれだ。文学に関する授業はひとつたりとも取らなかったけれども、ゲーテは色々と読んだ。「魔王」も持ち歌だ。(Dietrich Fischer Dieskauが最近お亡くなりになったので悲しい)特に、初恋に対する過剰なまでのコミットメントは、りぼんの少女漫画を読みすぎたことに加えて、ゲーテの影響も否めない。初恋についてゲーテは次のように礼賛する。

「初恋が唯一の恋愛であると言えるのは、至言である。なぜなら、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。元来恋愛を高め、恋愛をして恋愛たらしめるところの永遠と無限の観念が、第二の恋愛では既に破壊され、一切の反復する現象と同様に一時的なものにみえるようになる。」

加えて「青春には決して安全な株を買ってはならない(ジャン・コクトー)」と感じて、ボラティリティの高い銘柄に手を出し、先述のゲーテの言葉を真に受けると、
「愛する人の欠点を美徳と思わないほどの者は、愛しているとは言えない。」
といった状態になり、それはまさしく「恋は盲目」とほぼ同義である。

その症状が進行すると、
「いつも変わらなくてこそ、本当の愛だ。一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ。」
と思うようになり、その行動は、
「お前の努力は愛の中にあれ。お前の生活は行いにあれ。」
といった具合になる。

しかして、その行く先は、
「情熱は欠陥であるか、美徳であるかだ。ただ、どちらにしても、度を越えているだけだ。大きな情熱は望みのない病気である。それを癒しうる唯一のものが、かえってそれを全く危険にする。」

大きな情熱という望みのない病気にかかっている人間にとって、その恋の相手とは、
「人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷付けるものである。」
同じような台詞が漫画にもあった。
「 目の前が真っ暗になるほどの絶望も 目がくらむくらいの幸せも くれるのは あなただけ」
(酒井まゆ「ロッキン★ヘブン」最終回)

そのような時には、
「幸福は肉体の健康によろしい、だが精神力を発達させるのは心の悲しみである」(プルースト「見出されし時」を思い出すとよい。

されど、恋は破れても、
「もし生涯に、ウェルテルが自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」
この言葉は文学に親しむ人には十分な慰めとなろう。

定番どころでは、サッカレーが「愛してその人を得ることは最上である・・・ 愛してその人を失うことはその次によい。」と励ましてくれるだろう。また、それが初恋であるならば、三島由紀夫も「初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、 初恋は破れるほうがいいと言う説もある。」と肩をたたいて声を掛けてくれることだろう。

そしてゲーテは、終わった恋について、
「恋愛と情熱とは消え去ることはあっても、好意は永遠に勝利を続けるであろう。」と言うはずだ。
そして人は前に進むのである。

ここで思い至ったのは、ヘルカイザーこと、丸藤亮である。
「俺は死なない!!この輝く瞬間を感じている限り!!
 俺に死の闇が訪れる事は訪れない…瞬間は永遠となるのだ!!
(遊戯王GX148話)

リアルタイムで遊戯王GXを見ていた時には、
「瞬間は永遠となるのだ!!」という迷言(名言)の意味がわからなかったが、
冒頭の初恋についてのゲーテの言葉に思い当たって、
わかったようなわからないような今日この頃である。
とりあえず、自分がプルタルコスや、モンテーニュを模倣したエッセイを書こうとすると、こういう感じになるようだ。