馬車郎の私邸

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「シュリーマン旅行記 清国・日本 」講談社学術文庫、ハインリッヒ・シュリーマン

シュリーマンが幕末の日本に来ていたとは驚いた。ビジネスの成功譚や語学の学習法が面白い「古代への情熱」は良く読まれていると思うが、こちらの旅行記は意外と知られてないのではなかろうか。興味深い記述を抜粋しながら紹介しようと思う。

江戸上陸編:
「日曜日だったが、日本人はこの安息日を知らないので、税関も開いていた。二人の官吏がにこやかに近づいてきて、オハイヨ[おはよう]と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、30秒もその姿勢を続けた。」

30秒は長すぎるだろw

「次に、中を吟味するから荷物をあけるようにと指示した。荷物を解くとなると、大仕事だ。できれば免除してもらおうと、官吏2人にそれぞれ一分(2,5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸をたたいてニッポンムスコ[日本男児?]と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、賄賂につられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けねばならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんのうわべだけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら、サイナラ [さよなら]と言った。」

>賄賂を受け取らない高潔さはいいけど、検査はちゃんとやれよw

横浜編:
「家々の奥のほうには必ず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみな園芸愛好家である。日本の住宅は清潔さのお手本になるだろう。床は一般に道路から30センチほど上にあって、長さ2メートル、幅1メートル美しい竹製のござ[畳]で覆われている。」

>確かにガーデニングの趣味は、現代の日本の家にも多い。近所にも、色とりどりの花を育ている家が心なしか多い気がする。

「主食は米で、まだ知られていないパンの代わりをしている。日本の米はとても質が良く、カロライナ米よりよほど優れている。ご飯が炊けると、漆器の大きな椀[おひつ]に持って、部屋の中央のござの上に置く。次にぴりっとしたソースで煮た魚を一椀と、日本人の好む生魚[刺身]の入ったもう一つの椀が加えられる」。

>ぴりっとしたソースってわさび醤油のことだろうか。

「それから、スプーン、フォーク、ナイフではなく、長さ30センチほどの漆塗りの箸と、皿ではなく赤い漆塗りの椀が出る。家族全員がその周りに正座する。それぞれ椀を手に取り、2本の箸でご飯と魚をその小さな椀に盛り付け、器用に箸を使って、われわれのフォークやナイフ、スプーンではとてもまねの出来ないほどすばやく、しかも優雅に食べる。」

>すばやく優雅、と描写しているとは、シュリーマンにとっては、箸は機能美を体現していると見えたようだ。

「食事が終わると、椀と箸を片付け、洗って引き戸の後ろの棚に戻す。こうして、食事の名残はすぐに消える。それというのも、元に戻すべき椅子も、取り除くべきテーブルクロスも、移動すべきテーブルも、たたむべきナプキンも、洗うべきコップもナイフもスプーンも、小皿も大皿も、ソース入れも、コーヒーカップもポットも、どれ一つとして日本には存在しないという単純な理由による。」

>今では失われてしまった習慣だけど、言われてみればすごいシンプルだ。一人暮らしだったら、家具なんて全然いらないよね。

「日本人は終日正座し続けても疲れない。税関ではこのようにして30名ほどの官吏が、広間の中央に横2列に座り、帳面に非常な速さで上から下へ、右から左へ筆で書いている。実に不思議な眺めである。」

>椅子に座る習慣がすっかり定着してしまったので、正座というものを我ら現代の日本人は忘れてしまったのだなあ、と改めて意識する記述だ。

「スカーフやハンカチーフはない。男性や女性も、服の袖の中にポケットがついていて、そこにははなをかむための和紙[懐紙]を入れている。彼らは、この動作をたいそう優雅に行なう。彼らは、われわれが同じハンカチーフを何日も持ち歩いていることに、ぞっとしている。」

>ティッシュがまだない時代、しかも紙もそんなにたくさんは使われてない時代に見たら、驚くだろうな。鼻をかむのが優雅とは不思議だけど。洗濯機もないわけで、ハンカチでは細菌繁殖しまくりだろうから、ぞっとするのも確かにわからないでもない。

「日本人が世界で一番清潔な国民であることには異論の余地がない。どんなに貧しい人物でも、少なくとも日に一度は町のいたるところにある公衆浴場に通っている。しかも、気候が素晴らしい。」
「公衆浴場は大きな部屋で、側面の壁には衣類を置くくぼみがある。浴室には湯を満たした大きな風呂桶が置かれている。浴場は道路に面した側が完全に開放されている。名詞に男性形、女性形、中世形の区別を持たない日本語が実践されているかのようである。禁断のりんごをかじる前のわれわれの先祖と(聖書の創世記を指す)と同じ姿になった老若男女が、一緒に湯につかっている。」

>けど、あなたがたの御先祖も風呂好き、きれい好きだったのですよ。
参照:「風呂好き民族日本人とローマ人ー「テルマエ・ロマエ」第1巻、ヤマザキマリ、エンターブレイン


江戸(八王子、浅草など)編:
「われわれは豊顕寺で休憩した。境内に足を踏み入れると、そこにみなぎるこの上ない秩序と清潔さに心を打たれた。ごてごてと飾り立てた中国の寺はきわめて不潔で、退廃的だった。日本の寺はひなびたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れのあともうかがわれ、聖域を訪れるたびに大きな喜びを覚えた。僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこの上ない清潔さが際立っていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。」

>日本人に対する印象は、物理的にも清潔、精神的な面でも清潔ということで、一貫しているようだ。

「すばらしい評判を山ほど聞いていたので私は江戸に行きたくてうずうずしていた。」

>それは何よりです。

「国元では大部分の土地を領有し、そこに絶対的権力をふるっている大名たちは、二つの権力の臣下として国法を遵守しながらも、実際には大君と帝の権威に対抗している。好機到来と見るや自己の利益と情熱にしたがって、両者の権威を縮小しようとするのである。これは、騎士制度を欠いた封建制度であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主が全てであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、いきわたった満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見受けられる。」

>世界各国との相対的な印象として、当時の日本は良い国であったようだ。

「犬は、ペテルスブルクやコンスタンティノープル、カイロ、カルカッタ、デリー、北京ではたいへん粗暴でわれわれの乗る馬やラクダに吠え立て、追い掛け回してきたものだが、日本の犬はとてもおとなしくて、吠えもせず道の真ん中に寝そべっている。近づいてもそのままでいるので、踏まないようによけて通らなくてはならない。」

>パピヨンとミニチュアダックスを飼ってるけど、ほんとあいつらは元気だ。いつもとび跳ねたり、走り回っている。

「詰所は赤と黒の象形文字で書かれたたくさんの提灯(ちょうちん)で照らされている。これらの提灯はとても安くて、そのうえヨーロッパのランタンよりも長持ちする。」

>え、そうなの?技術立国だな、昔から…

「国産の絹織物を扱う店が多いのには驚かされた。男女100人を越える店員が働き、どの店も大きさといい、品数の豊かさといい、パリの最も大きな店にもひけをとらない。」

>幕末以降の日本の貿易で、生糸の輸出が盛んだったのは、すでにこの時点で、比較優位があったことに由来しているようだ。

「本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである。さらにおもちゃ屋も多かった。玩具の値段も安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルクやパリの玩具製造業者はとても太刀打ちできない。」

>明治維新の遠因は、やはり当時世界でも群を抜いた識字率の高さだろう。早い時期に近代化できた、列強に名を連ねた国が日本だったのは、こうした点もあったのではないか。活版印刷の発明から、すでに数百年たっていたはずの西洋文化圏のシュリーマンをして、本が実に安く、貧乏人でも買えると言わしめている点が非常に気になる。いったい当時の日本は、本について、どんな生産、流通体制を敷いていたのだろう?

「絵や額を並べている店にも立ち寄ってみた。日本人は絵が大好きなようである。しかし、そこに描かれた人物像はあまりにリアルなので、優美さや繊細さに欠ける。」

>漫画の萌芽が異邦人の目にも捉えられていたようである。

「(浅草観音寺にて)左側のお堂には、仏像の傍らに、優雅な魅力に富んだ江戸の[おいらん]の肖像画がかけられている。有名な寺の本堂に[おいらん]の肖像がが飾られてる事実ほど、われわれヨーロッパ人に日本人の暮らしぶりを伝えるものはないだろう。他国では人々は娼婦を哀れみ容認しているが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで日本人が[おいらん]を尊い職業と考えていようとは夢にも思わなかった。ところが日本人は、彼女らをあがめさえしているのだ。その有様を目の前にして(それは私には前代未聞の途方もない逆説の様に思われた)、長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ち尽くした。」

>キリスト教徒の常識からしたら驚きででしょうね。

「とりわけコマの曲芸には感動した。空中高くコマを投げ上げキセルの先端で受け止める。曲芸師はまるでコマが人間かのように語り掛けつつ、たどるべき道筋を指示する。(中略)コマ回しは実に素晴らしい芸術であり、かならずやどの文明でもそれにふさわしい賞賛の嵐を巻き起こし、バーナン氏(アメリカの興行師)に毎年巨額の富をもたらすにちがいない。」

>手乗りなら自分もできるけど、キセルの上に乗せるとはすごい技術。最近の小さい子は、コマはやるのかな?いや、ベイブレードか…

「次に私は役人5人の猛反対にも関わらず、日本語で大芝居と呼ばれる大劇場に出かけた。(中略)最初の出し物はドラマティックな作品で、次は滑稽物だった。いずれも見事に良く演じられたので、日本語がわからなくても全て良く理解できた。」
「切腹が実に、真に迫っていたので、観客は皆涙を浮かべていた。与力を演じた役者の名を熱狂的に連呼し、彼が無事な姿で現れるや、歓声をあげて迎えた。私は今でも、どうやって血の海をつくりだしたのかわからない。」

>やっぱり、パントマイムで伝わるんだ。無声映画時代のチャップリンの映画も、確かに言葉がわからなくとも面白い。

「江戸での私はまるで囚人のようであった。武装した100人あまりの役人が領事館の周囲を厳戒態勢で守っているにも関わらず、私が風呂場や厩舎に行くたび役人が何人かついてくるのだ。風呂場も厩舎も同じ庭の中にあるのに、である。うんざりするような過剰警備に抗議をしたが徒労に終わったし、また理由を憶測しようとしても無駄だった。役人が欲得ずくでこの過剰警備に励んでいるのではないことはよく承知している。だからなおのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら切腹を選ぶのである。」

>いかに要人とはいえ、さすがに警護しすぎw

「もし文明という言葉が物質文明を指すのであれば、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。」
「それに教育はヨーロッパの文明国家以上にいきわたっている。シナも含めてアジアのほかの国では女たちは完全な無知の中に放置されているのに対して日本では男女問わず仮名と漢字で読み書きできる。」

>明治維新、近代化、工業化の下地がすでに整っていたことがわかる箇所だ。

このように、幕末当時の日本が、異邦人の目にどのように映ったのかとっても興味深い1冊でした。意外な発見がたくさんあって面白かったです。