馬車郎の私邸

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江戸時代の重農主義者、重商主義者

 江戸の三大改革といえば、徳川吉宗による享保の改革、松平定信による寛政の改革、水野忠邦による天保の改革である。いずれの改革も、幕府財政の安定のために、とりわけ米に大きな関心を寄せていることに共通点がみられる。たしかに、武士の収入も幕府の財政も米であるから、施政者が米価の安定に多大な関心を寄せることは当然と言えよう。
 
 徳川吉宗は、改革に際して米価安定に腐心し、倹約と農民に対する増税によって幕府の財政を安定させようとした。彼の農業重視の態度は、飢饉対策用のサツマイモや、菜種油などの商品作物の栽培を奨励していたことにも表れている。商工業よりも農業を重視するというより、むしろ農業しか頭にないといったほうが適切かもしれない。彼は統治のシステムを良くしようとさまざまな観点から改革を行ったとはいえ、商工業を意識した政策を行った形跡はみられない。相対的というよりは絶対的に、商工業よりも農業を彼は重視している。米将軍とあだ名された徳川吉宗は、製造業や貿易のことは頭にないという意味で、重農主義者である。
 
 莫大な人口が農村から江戸に流入する傾向があったので、松平定信も、水野忠邦も、江戸に流入していた農村出身者には資金を与えて、再び農民にしようと試みた。幕府の収入は農民が納める年貢に依存するため、農民が減れば幕府が得る年貢も減る。農業を優先し、農業を振興するために製造業や貿易を軽視し抑制するのは、重農主義の考え方である。彼ら二人も基本的に商工業や貿易は抑圧する方向性でしか考えていない。富の唯一の源泉は農業であると信じ込んでいる点で、彼らもまた、ある意味で重農主義者である。
 
 相対的というより、絶対的な農業(米)の重視が、三大改革の施政者三人に共通している。自身の属する階層の収入はすべて米、国家の収入も基本的にはほぼすべて米である時代だ。彼ら三人ともが、米に縛られた発想しかできなかったのも無理はない。幕府財政の行き詰まりは、システムや仕組みの問題であった。盛んになりつつある貨幣経済を、どのように幕府の統治と財政に結びつけるかが、改革に必要なことだった。だが、貨幣経済に着目していた政治家が江戸時代に一人いた。それは田沼意次である。
 
 田沼意次は、貨幣経済の重要性に気付いていたという意味では先見の明があった。だが、彼の意図は別にして、彼の政治的業績を見ると重商主義に通じるものがある。まず、貿易に関して彼の重商主義的な考え方が示されている。江戸時代の日本は鎖国をしていたといわれる。しかし実際には部分的であるものの、貿易があった。長崎においては清、オランダとの交易があり、対馬藩を仲介して李氏朝鮮と交易、薩摩藩の支配下にあった琉球を通じた清や東南アジアとの中継貿易、松前藩を介してアイヌ・ロシアとの交易があった。田沼意次は貿易に着目し、外国との貿易を黒字化させて国内の金保有量を高めた。だが、この考え方は重商主義と同一である。国の富は、金銀、つまり貨幣にあると考えるのが重商主義の考え方だ。
 
 また、田沼意次は株仲間を積極的に公認した。だが、株仲間とは、商工業者の同業組合であり、一種の独占カルテルのようなものだ。産業の独占は、国内資本の最適な資本配分を崩す。たしかに、貨幣収入を幕府財政に組み入れる点では、ある程度の成功を収めたという見方もできるが、しかし、特権大商人を公認することは重商主義の考え方につながる。

 くしくも田沼意次は、重商主義を批判したアダム・スミスと同時代人である。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本がベストセラーになっているけれども、「もし田沼意次がアダム・スミスの『国富論』を読んだら」どうなっていただろうか。話の筋は通しやすいだろう。誰か、書いてみないか?

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